90年の轍 森先生のこと
森雅敏さんから案内状が届いた。僕らは森先生と呼んでいる。世の中に多くの森先生がおられるけれど、僕らが森先生と言うときには雅敏さんのことである。
『醒井木彫美術館創立10周年を節目に、森大造と雅敏の造形二世代展をささやかですが企画いたしました。
森大造は大正11年(1922)に醒井から東京へ出て、以来戦中戦後の数年を除いて在京、彫刻一筋の生活をいたしました。大造から始まりました醒井から東京と、雅敏の東京から醒井と合わせて90年。
大造の木彫作品は本館の常設で展示されておりますので、本展では木彫以外の造形物を集めました。
主な内容は彫塑原型のブロンズ像、降誕仏や大黒天など。また滋賀県内の屋外造形をパネルで紹介。そして木彫工芸と日常生活の手すさびなどです。雅敏は木工のデザインと種々の造形と50年振りに筆をとりました日月と追想湖北の墨彩画などで構成いたしました。』
森先生のサインもあった。「森」ではない「森」の字が書いてあるので、その本人だと判る。未だに万年筆。インクはブルーブラック。僕は万年筆を取り出して固まったインクを溶かすためにぬるま湯につけた。久しぶりに帰って来られるのだ……と思った。
森先生のお父上、大造さんについては、彦根駅前にある井伊直政像の原型を手掛けた人だということ以外には何も知らないが、森先生とは、「あらー、元気だった? ありがと。忙しいのに来てくれたのね」と、少し首をかしげて言う言葉から始まって、僕はたくさんのことを言わなくてはいけないはずなのに、何も思い浮かばなくて……と、お会いした時の様子が予想できる。いつだってこんな具合だ。
森先生については、米原市のゲバントハウスを主宰、高島市のガリバー村、東近江市のヘムスロイド村などのプロデュースをされ、自治体のシンクタンクからの相談を受けておられたことと、いくつかの作品を知っているが、デザイナーとして或いは作家として生きてこられた先生のことを知らないままでいる。忙しいはずなのに、鳥居本の仏生寺に明治時代の古民家を移築し呑気に暮らしておいでの様子ばかりが染みついている。四半世紀前だから田舎暮らしが流行る以前の話である。
昭和の終わりに彦根にふらりとやってきたらしい。本当にふらりとやってきて、ラジオ局を訪れ「霊仙の山ふところにいだかれて工芸村を創りたい」と言ったそうだ。言葉が電波になって、たまたま先生の要望に応える人がいて、滋賀県での活動が始まった。その話が印象的だった。
僕といえば、いくつかの記念すべき仕事をさせていただきながら時を過ごし、手土産も持たず、アポを入れることもせず訪ねては、お酒を飲ませていただき、そのまま泊まることもあった。世話になり、厄介をかけてきたにも関わらず、側におられた先生しか知らない。
実は、今までから案内をいただいてきた個展にも一度として行ったことがない。先生のところには泊まったけれど、森先生とはちゃんと話したこともなかった。今度の二世代展にも行かないかもしれないし……、「あらー、元気だった?ありがと、忙しいのに来てくれたのね」の言葉を聞きにいくかもしれない。先生も地蔵川の梅花藻も、美しい季節のままである。
森大造と雅敏 造形二世代展 醒井・東京・醒井の90年
日時 5月26日〜7月22日の土・日・祭日 10時〜16時
醒井木彫美術館(米原市醒井 TEL: 0749-54-0842)
入場料 大人 300円・中学生 200円
- 中山道醒井宿東寄り 東海道線醒ヶ井駅下車徒歩約12分。
- 醒井木彫美術館に駐車場はありますが、満車の場合は醒ヶ井駅東側の駐車場をご利用ください。
店舗等の情報は取材時のものですので、お訪ねになる前にご確認ください。
【小太郎】