木ノ前道
甲良町小川原、一本の道の名前が「木ノ前道」だと知った。僕にとっては凄いとこだった。「木ノ前道なのに木が無い」のも気になるが、話は地蔵に関係している。
木之本には「木之本地蔵」多賀町富之尾には「木中地蔵」というお地蔵様がおられる。木の「本」「中」とあるならば「先」があっても不思議ではないと思っていた。実際、探してみたことがある。たどり着いたのは、岐阜県関市の「豆木地蔵」(法然寺)だった。
『関市の「武儀郡古跡名勝誌」によると、欽明天皇の御代(539~71年)、滋賀県木之本に佐治郎という者が住んでいた。チトという娘を残して母が亡くなったので後妻を迎え、イクという子が生まれた。イクを愛するあまり、先妻の子チトに辛くあたり、佐治郎が留守のある日、妻は二人の娘に豆蒔きを命じ、イクには生豆、継子チトには茹でた豆を種豆として与えた。
茹でた豆は発芽するはずはなく、妻はこれを理由にしてチトを家から追い出し、チトは近くの叔父を頼って出ていく。そこで、地蔵に祈って、豆を一粒を授かり、これを蒔いたところ大きな豆の木となり、257升の豆が採れた。その豆の木で地蔵を三体彫り、一つをチトが背負って国々を巡り、関市へ来たとき、地蔵が重くなりこの地に一体を祀った。他の二体は、一体は木之本に留め、一体は大陸へ持ち去ったという』。
当時はそこまでだった。今考えると、木之本に留めた一体が木之本地蔵なのかどうかも判らない。「本」「中」「先」の解決にもなっていない。
それがようやく繋がった……。木の「先」ではなく「前」だったのである。木之本に「本」、多賀に「中」、甲良に「前」。そう考えると、あくまでも推測だが、実際に木が無くても納得できるのである。木ノ前地蔵への参道だったのではあるまいか?実際にお地蔵様の祠もあった。お地蔵様の名前を調べてみたい。豆木地蔵へ行って、別名はありませんか?とも尋ねてみたい。
【小太郎】