6年振りにシャグマが揺れた
長浜市余呉町下余呉太鼓踊り(県指定無形文化財)の奉納が、8月21日行われた。6年振りだという。
下余呉には式内社が2社あった。乃彌(のみ)神社と乎彌(おみ)神社で、寛延2年(1749)に合祀(ごうし)され、乎彌神社となった。式内社は、延長5年(927)にまとめられた『延喜式神名帳』に記載された神社であり、下余呉は古い歴史を有する土地であることがわかる。
下余呉の太鼓踊りは、明治時代、京都の東本願寺再建の際、「能登から原木を髪でなった縄で引っ張ってきた人足の疲れを癒すために、太鼓踊りを踊った」(初出『滋賀県湖北昔話集』)のが由来とされ、乎彌神社の夏季祭礼として200年以上前から受け継がれているという。
太鼓踊りは、大太鼓、小太鼓、鉦(かね)で構成されている。横笛や唄、拍子をとるタンバリンは下余呉の小中学生の男女が分担する。花形は小太鼓だが、踊りが成立するには、小学4~6年生の男子最低5名を必要とする。
今年は、6年振りに小太鼓の担い手の数がそろった…。踊りの経験者は一人もいない年である。夏休みに入り、毎夜、練習に励んだという。彼ら彼女らにとって夏のただ一日のためだけに、太鼓踊りはあった。
当日、午前中から空の模様はあやしく、下余呉の乎彌神社境内で奉納される太鼓踊りは、余呉体育館で行われることになった。本来、みちゆき・ぎおんばやし・五つさがりなどの節に合わせた踊りは、余呉の山々を背景に場面が展開するのだろう。
「月さやか、野路の玉川はぎ越えて……」、緩やかな唄拍子に「シャグマ」が揺れる。「シャグマ」は烏の羽を飾ってあるという冠だ。
緑に包まれた境内で揺れる「シャグマ」を見たい……、マレビトの勝手な願いである。
6年振りの太鼓踊りに訪れた下余呉の人々は皆そう思っていたに違いない。この日を目指した太鼓踊りの担い手たちは……。僕は、語る術を持ちあわせていない。
参考『湖北賛歌』吉田一郎著作集(2001)
【編集部】