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妖怪は「畏い」

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 2010年8月21日更新

 「淡海妖怪学波」で地元の妖怪をコレクションしているものだから、夏になると問い合わせがある。大抵が「恐い話をしてください」というものだ。
 妖怪はそれ自体、得体の知れない「何か」だから、随分と恐いと思うのだが、期待されている「恐い」というのは、どうも違うらしい。
 相手への畏敬の念によるもの「畏怖」ではなく、自分に危害の及ぶ可能性のあるものや、怨念のような身の毛もよだつようなものだ。
そこには尊敬がない。
 僕は、妖怪の存在そのものがリスペクト(尊敬)に値すると思っている。それを生み出した人の想像力、それが存在すると認めた別の人も凄いと思う。そして、全国的にも認知されているというのがまた凄い。
 昨夜、友人が蝉の声の話をしてくれた。
「蝉の声に聴き入っていると、どんどん辺りが静かになっていく」。
そういう境地にしか妖怪は現れてくれないのではないだろうか。
 だから、妖怪は畏いのである。

小太郎

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