噂の「六」
彦根城玄宮園の石に「数字が刻まれている」と聞いたのは、数年前に遡る。以来、機会があるごとに、数字を探して歩いていた。決して緻密であると言えない探索で、見つかるはずがない。
再び、尋ねると「数字は6」だという。「ロク」という音に、頭の中では「Ⅵ」とイメージした。深い理由は無い。なんとかく「Ⅵ」だったのだ……。見つかるはずがない。 先日、「六」だと教えていただいた。最初から漢数字の「六」だと教えないところが憎い。強者である。 築城時に、石に刻印し、何らかの目的で、他の石との区別を必要としたらしい。彦根城の石垣にも幾つかあるというが、所在は明らかになっていない。
何故「六」なのか、謎のままだ。「一」からあるのだろうか?
玄宮園は四代彦根藩主井伊直興公が造営したものだ。直興公は、日光東照宮修造の惣奉行を務め、槻御殿(玄宮楽々園)造営や松原港、長曽根港も改修した当時の建設事業第一人者で熱心に仏教を信仰した人物でもある。直興公を知れば謎は解けるのか……。
「Ⅵ」の時代を通り過ぎた僕は、最初に「六」だと知らされていたら何か違いはあったのか……。今となっては、「Ⅵ」を妄想した時代が一番楽しかったことは事実である。そしてまた、機会があれば、石垣を眺め「漢数字」を探すのだろう。世の中判っていないことの方が多いのである。
【小太郎】