アメフトのまち・長浜でフラッグフットボールの振興を

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 長浜市 2021年10月1日更新

7月、長浜市民体育館での体験会で

長浜はアメリカンフットボールの聖地!?

 他のまちにはない長浜だけが紡ぎ続けた歴史……。それはアメリカンフットボール(以下、アメフト)である。
 今を遡ること71年前、1950年に旧長浜市立第四中学校(現在の市立南中学校)でタッチフットボール部が創部された。これは日本初のことだったといわれている。翌年の1951年3月、第四中学が「第1回関西ジュニアタッチフットボール大会」で優勝すると、米原・彦根でも創部が相次ぎ、高校ではアメリカンフットボール部の創部へとつながっていく。
 この原動力となったのが、第四中学で教鞭をとっていた故吉川太逸さんだった。
 戦後、日本に駐留していた進駐軍の兵士らはグラウンドを見つけるとすぐにフットボールを楽しんでいた。それは見たこともないスポーツだった。吉川さんは興味を持ち、「このスポーツで子どもの体を丈夫にし、スポーツでアメリカに勝つ人材を育てたい」と夢見た。ルールブックを手作りしたそうだ。
 吉川さんは、大観衆の中でプレーさせてやりたいと甲子園球場で東西の大学が王座を決める「甲子園ボウル」の前座試合として中学生チームが対戦する「関西中学生選手権大会」を実現させた。現在の「長浜ひょうたんボウル」の前身にあたる「長浜ボウル」を1951年に開催。地元の人にアメフトを知って欲しいと始めたものだが、甲子園ボウル、ライスボウルに次ぎ日本では3番目に歴史ある大会となっている。
 吉川さんはユース、ジュニア育成の先駆者として日本アメフト連盟の殿堂入りも果たされたアメフト界のレジェンドである。そして、多くのプレイヤーを輩出してきた長浜は、アメフトの聖地なのである。

フラッグフットボール

 今年7月、長浜フラッグフットボール協会が発足し、小学生を対象にした体験教室が行われた。フラッグフットボールの起源は、アメリカンフットボールにある。1チーム5人で対戦する。アメフトで行われるタックルは禁止。その代わりに腰に付けた布(フラッグ)を奪う。名前の由来はここにある。体への接触が少ないため防具も必要ない。
 「アメフトについて、長浜には他のまちが持たない魅力がある」と話すのは、同協会の代表・伊藤和真さんだ。副代表の堤義定さん、事務局の小林大英さんと一緒にお話をうかがった。3人は、学生時代アメフトのプレイヤーであり、長浜青年会議所のメンバーとして、長浜のまちづくりや振興を共に考えてきた仲間でもある。長浜で子どもたちにフラッグフットボールに親しんで欲しいと協会を設立したそうだ。
 どんな競技なのかを知って欲しいと体験教室を開催したが、その反響は予想以上だった。「アメフトの経験者が指導者を引き受けてくれるし、クラブチームができれば参加させたいという保護者の声も多数あった」と小林さん。
 堤さんは「足が速いとか、ボールを正確に投げられるなどに加え、作戦を考える役割もあり、運動が得意な子どもでなくても活躍できる場面は多く、協力し合うので会話が増え連帯感が深まる。その経験はスポーツ以外の場面でも役立つ」と考えている。
 現在、教員の働き方改革で学校での部活動の時間は短縮傾向にあり、子どもたちは習い事や塾で運動離れの傾向にある。フラッグフットボールは、2020年、文科省の教育指導要綱にも掲載され、2028年のロサンゼルス五輪では追加種目になる可能性も高い。

左から、長浜フラッグフットボール協会の堤副代表、伊藤代表、事務局の小林さん

 伊藤さんは「アメフトを知る人が多い長浜の強みを生かして、フラッグフットボールでまちを盛り上げたい。観戦してもらえれば面白さがわかるはず」と熱っぽく話す。
 9月中にはホームページが完成予定。コロナ禍で延期した2回目の体験会を開き、クラブチーム結成へつなげていきたいと考えている。
 この夏、東京2020オリンピック・パラリンピックが開催された。コロナ禍での開催に賛否両論はあったが、テレビ観戦にくぎ付け状態だった。選手へのインタビューでは、開催や競技を支えた人への感謝とともに、「子どもたちに夢を与えられたと思う」「この競技をやってみたいと思って欲しい」というコメントも多く耳にした。
 アメフトの聖地からフラッグフットボールの黎明。ロサンゼルスに向けて歴史が動き始めた……。必要なのは努力し続ける才能と見守りつづける才能だけである。ドラマチックだ。

 

店舗等の情報は取材時のものですので、お訪ねになる前にご確認ください。

蜻蛉

スポンサーリンク