奇っ怪な奉納物「ヤッサ」

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 甲良町 2021年8月25日更新

胴は麦藁を束ね千草で覆い麻縄で縛る。麻縄の上に菅を巻く。胴の上には船を乗せる。船は千草と菅で編んだもので形作られている。

 「ヤッサ」は、犬上郡甲良町金屋に伝わる伝統祭事だ。集落にある「金山神社」の森に奇っ怪なオブジェが吊されており、それが何なのか、真実をずっと知りたかった。
 今年3月、コロナ禍で休業していた「おだいどこ 野幸」(甲良町正楽寺)が営業を再開し訪れる機会があった。農事組合法人「ファームかなや」が運営する農家レストランである。地元の米と野菜を使ったランチは組合員のお母さんらの手作りである。なつかしいやさしい味。自然と笑顔になるというから新型コロナの感染拡大が収束したらDADAで紹介したいと思っている。
 「野幸」は「やさち」と読む。店内にヤッサの写真が飾ってあった。「今年ヤッサがあるならばぜひ知らせて欲しい」とファームかなやの代表理事の鋒山定治さんに頼んでおいた。7月末「昨年はコロナ禍でできなかったが、今年は8月7日にヤッサを作ります」と電話があった。

「ヤッサ」のカタチ

ヤッサを金山神社拝殿に移し、デコを取り付けて完成。今年のデコは、ひとつは東京2020オリンピック、もうひとつは桃太郎だった。

 この祭事はかつて毎年8月7日だったが、現在は7日に一番近い土曜日に行われる。七日盆(なぬかぼん)で、金屋では「千草盆」という。お盆行事のはじめの日である。今年は奇しくも7日が土曜日で、暦通りとなった。起源を辿れば旧暦7月7日七夕でもある。
 「千草盆」の日、金山神社にヤッサが奉納される。実はヤッサは行事の名ではない。千草盆がヤッサとして認知されるようになったのである。僕自身、千草盆を知らなかった。
 ヤッサは「胴」とその上に乗せられた「帆掛け船」でできている。
 胴は、麦藁を束ねたものを千草(茅・千萱:チガヤとも)で覆い、麻縄で10〜12ヶ所縛りその上に菅(スゲ)で化粧巻きを施す。最後に餅藁で作った化粧まわしを付ける(藤蔓の化粧縄の年もある)。船は千草と菅で編んだ構造部材で作る。舵、錨に見立てた菅の房、野菜で作った船頭を取り付ける。
 胴を季節の花で飾り、船には芭蕉の葉と竹でできた帆を揚げ、ススキとトラノオで飾る。最後に化粧縄の正面に「デコ」と呼ばれる野菜で作った人形を取り付けて「ヤッサ」が完成する。胴体は男性を表し、船は女性を象徴しているといわれている。デコは、花咲かじいさん・牛若丸・桃太郎など昔話に題材を求めたものや、世相を反映したものなど工夫が凝らされ、今年は東京2020オリンピックのデコが登場した。
 金屋の集落の男衆が集まり、この奇妙な「ヤッサ」作りに丸一日を費やす。実際は、藁は勿論だが千草や菅の調達、トラノオの栽培など1年がかりで準備をする。トラノオはヒモゲイトウ(別名:仙人穀)という植物だが、何故か金屋では「トラノオ」と呼ぶ。毎年種を採り、4月20日頃に種をまき「ヤッサ」のためだけに育てている。

「ヤッサ」の祈り

 僕が金山神社に到着したのは午前9時過ぎ、境内の集会所の横にある建物に20代〜70代の40人ほどの男衆が既にヤッサ作りを始めていた。遠くにある台風の風を感じる蒸し暑い日だった。
 昔、男児がなくて困った村人たちが男子誕生を神様に祈ったところ願いが叶い、その出産と健やかな成長を願って「ヤッサ」を拝殿のまわりに奉納した。これが8月7日の七日盆、「千草盆」であるといわれている。最初は千草の束に花を添える簡素なものだった。
 「ヤッサ」という名は、「野幸(やさち)」、「家幸(やさち)」が転じたとする説がある。「野幸」は豊かな実りを、「家幸」は子孫繁栄を祈ったのだろう。また一説に、ヤッサは金山神社本殿の右側(東側)に鎮座する道祖神「弥賽(やっさい)」に生産を祈るという意味だとも伝わる。始まりは鎌倉時代にまで遡るというが、実際のところよくわからない(もう少し時間が必要だ)。
 千草盆の翌日には、昔から鎮守の森の杉の木に掛けられた縄(現在はワイヤー)に一対「ヤッサ」を吊るす。このヤッサを種(たね)ヤッサという。種ヤッサが落ちる時期によって豊作を占っていた。
 僕が観た奇っ怪なオブジェは、後の祭りだったわけだ。

2021年の「ヤッサ」

 今年は鋒山卓矢さんの長男煌人(あきと)さんの誕生を祝うヤッサだった。鋒山家(奉納家)と金屋の集落で一対のヤッサが奉納された。奉納は2年続けるので、来年も煌人さんのヤッサが奉納されることになる。
 「正直にいうと面倒だなと思っていますが、父も私が生まれたときヤッサを奉納し祝ってくれたので、同じように祝ってやりたい」と卓矢さんは話す。ヤッサが受け継がれる理由がここにあるのではないだろうか。
 しかし、金屋の集落の人々はヤッサの継承が年々難しくなっていくことを案じている。若い人たちの農業離れや少子化という社会的な事情とともに、ヤッサに使う植物の調達が困難になってきているのだ。例えば、今年は千草が調達できず慌てたという。金屋で千種を育てようとチャレンジしたこともあったが、ヤッサに使えるだけの背丈には成長しなかった。そして、何故、男児だけ祝うのかという現代的な切実な問題もある。
 昔は長男が生まれたそれぞれの家でヤッサを作り奉納した時代があった。肩に担ぐことができるくらいのヤッサもあったという。
 実は卓矢さんは金屋を出て彦根市に住んでいるが、鋒山家を継ぐ子として、皆で喜び祝ったのである。
 思うにヤッサは跡継ぎ誕生の祝いと健やかな成長を願うだけに作るのではない。時代時代の多様な祈りが込められ、少しずつカタチを変え、現在に至っているのではないだろうか。ヤッサに謎が多いのも願いを反映しているからだと僕は思っている。課題が解決され、新しい世代のヤッサが生まれることを期待したい。謎が一段と深くなるのだが。

参考:『湖国百選■祭−踊■』他

風伯

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