湖の小糸漁!
小鮎
「お中元」のことを考えていた。「お歳暮」なら年の暮れ、しかし「中元」がわからない。中国の道教由来の文化らしい。中国の暦では1月15日は上元、7月15日は中元、10月15日を下元という。中元は日本でいう「お盆」。仏教の風習と混ざり、お世話になっている方への感謝の気持ちを伝える風習として江戸時代に定着したという。
僕のところには中元に琵琶湖の「小鮎煮」が届く。鮎は日本列島の河川に広く分布し、春になると海から川を遡上する魚である。湖の畔で暮らす僕らにとって海から遡上する鮎というのは信じがたい。
「小鮎」を鮎の稚魚のことだと思っている人が多いかもしれない。河川を遡上せず、一生を琵琶湖ですごす鮎は成魚でも10センチ以下、大きくならない。だから「子」鮎ではなく「小」鮎なのだ。
「小鮎」は琵琶湖にしか棲息していない。漁は「おいさで」「魞(えり)」「沖すくい網」「小糸」など湖独特の漁法が受け継がれている。
小糸漁
夜、湖岸近くで餌を食べ、明け方沖合へ移動する小鮎の習性を利用した刺し網漁を琵琶湖の漁師は「小糸漁」という。漁師の経験と勘が頼りの漁だ。刺し網を何故か琵琶湖の漁師は小糸と呼び、小糸で捕れた小鮎が一番美味しいといわれている。理由はよくわからない。
僕は小糸漁が、実際にどのようなものかを知りたかった。漁師は夜中に網を仕掛け一晩中湖上で漁をする。願いは忘れなければかなうものである。6月初旬、僕は琵琶湖の漁師大島史照さん(39)の船で漁を経験することができた。
大島さんは6年前、彦根の木村水産株式会社(あゆの店きむら)で漁師として働き始め、4年が過ぎた頃、独立を果たした。琵琶湖の漁師としては一番若い。
夜11時、宇曽川漁港を出港した。観光船と違って足元から湖面までの距離が近く、暗い湖に立っているような感じだ。大島さんは、先輩漁師の教えとわずかな経験で網を仕掛けていく。操船しながら湖岸線と平行に横30メートル × 縦4メートルの小糸を8枚、カーテンを張るように沈めていく。この日、240メートルの網を張り終えたのは午前1時過ぎ、あとは網を引き揚げるタイミングを待つ……。
「琵琶湖の漁師は小糸網を1枚、2枚ではなく把(わ)と独特の数え方をします。把は片手で握るという意味で、おそらく小糸網をまとめると片手で握ることができるボリュームを単位にしたのではないでしょうか」。
小糸漁にはこうすれば捕れるという確実なものはないという。例えば、月が明るい夜はあまり捕れないといわれているが、大島さんは大漁だったりするらしい。自分であれこれ考え試してみるのが面白く、ツボにはまり上手くいったときは、この上なく気分がよいのだという。
今年の小糸漁は7月末までできそう。琵琶湖の漁師は漁だけでは食べていけない。一晩中湖にいるので人を乗せたくない理由はたくさんある。湖の漁を伝える責任も感じているけれど……。
小糸を引き揚げるまでの間、湖の真ん中に立って大島さんの話を聞いていた。独りの漁はどんなだろう。哲学でもするような表情で口を一文字に黙々と湖面を見つめているのだろうか……。
網に刺さる
ひとつの疑問。すくうでもなく囲むでもなく、カーテンのように沈めた平面の網でどうして小鮎が捕れるのか?
小糸を引き揚げると網の目に小鮎が刺さっていた。そして網を振って鮎を外していく……。
夜、湖岸近くで餌を食べ、明け方沖合へ移動する小鮎の習性を利用した小糸漁を僕はようやく理解した。
網の目よりも小さいものは通り過ぎ、大きいものは刺さらない。通り抜けることができない大きさの小鮎だけが捕れるのである。つまり、求める大きさの魚を捕ることができるということだ。
小鮎だけでなく、ニゴロブナ、ホンモロコも小糸で漁をする。大島さんは小糸専門の漁師だ。
「1月、ニゴロブナの頃が好きですね。湖の周りの山々が雪を戴いて、ほんとに綺麗なんです」。
湖の漁師だけが知る風光である。僕は夜明けまで、手伝うこともせず(邪魔になるだけと悟った)漁を観ていた。小鮎が刺さっていない網もあれば、浮遊する植物性プランクトンや泥で網の目が詰まっているもの、キラキラと大漁の網もあった。
漁を終え港に帰る時、僕はデッキの高いところに立ち、『タイタニック』のローズのように風を感じながら湖に昇る朝日をみた。8把とも大漁だったらこの上ない! と思った。
【風伯】