大蔵省用地の石碑

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 彦根市 2021年5月19日更新

 僕は大人になってからほとんどテレビを観ない人間になった。毎週同じ時間にテレビの前に座わり連続ものを観るなど到底叶わない。
 だが今年のNHK大河ドラマ「青天を衝け」は、渋沢栄一が主人公である。観なくてはならないと思った。全て観ようと僕が決心したというのは青天の霹靂のようなものである。
 今年に限って観る気になったのは、渋沢栄一がどのような人物だったのか知らなかったということに尽きる。2024年、新一万円札の肖像になるという興味もあった。そして、戦国時代のように人が人と殺し合い正義を語る時代ではないということも気に入っている(いつの時代も謀略と殺戮はあるのだが)。
 渋沢栄一は、利潤と道徳の調和を説き、国を富ませ、人々を幸せにすることを考え、実践した人物であることを大河ドラマのおかげで知ることができたのだ。
 2019年12月に始まった彦根市役所本庁舎の耐震・改修・増築の工事が4月に完成した。工事の間、僕は市役所裏の溝のなかに遺る「大蔵省用地」の石碑のことが気になっていた。
 市役所は彦根市元町にある。この辺りは江戸期には餌指町といった。鷹匠配下で鷹狩に使われる鷹の餌となる小鳥を捕らえる餌指方が居住していたことに由来する。
 日露戦争開戦を前にして明治政府は戦費調達のために煙草製造を専売制に移行した。明治41年(1908)、彦根町は餌指町の敷地を提供、名古屋専売局彦根煙草製造所の新工場が建設され、明治45年(1912)操業を開始する。そして、昭和19年(1944)、この場所が大蔵省印刷廠(いんさつしょう)彦根工場となる。現在でいう独立行政法人国立印刷局である。そして、昭和41年(1966)彦根工場は東野波町に新築移転。跡地に市役所の新庁舎が建設された。
「大蔵省用地」の石碑は、この場所の歴史を物語る記念物である。4月初旬、確かめに行ったが心配は無用であった。誰も石碑のことなど気にも留めなかったのだろう、溝のなかにそのままありほっとした。それはそれで悲しくもあったのだが。
 ところで、渋沢栄一の新一万円札が彦根工場で印刷されるのかどうか。「青天を衝け」を観ながら考えたりしている。

 

小太郎

スポンサーリンク