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マラリア撲滅とコロナ禍

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 彦根市 2021年3月31日更新

 コロナ禍の二度目の春である。
 2016年、「彦根・昭和新道 マラリア撲滅と彦根城外堀」という記事を書いたことを思い出した。
 日本に古くから存在する「土着マラリア」は、別名を「おこり」という。高熱、吐き気などの症状が現れ、死にいたることもある伝染病だ。シナハマダラカがマラリア原虫を人の血液に媒介する。
 彦根銀座から琵琶湖ちかくまで続く「大津能登川長浜線」は古くは「昭和新道」という名で呼ばれていた。この道路は、昭和9年(1934)から10年(1935)にかけて建設された道路である。当時の彦根城の外堀を埋め、幅四間(約7・2メートル)の道路を造ると同時に、その東側に市街地を造成していった。
 「マラリア防疫を目的とした濠の埋め立てによる歴史的景観の改変ー彦根城の遺構『濠』をめぐる行政と地域住民の論争に着目してー」(京都歴史災害研究第12号米島万有子・2011年)に興味深い記述があった。
 「彦根市マラリア対策の第2次5ヵ年計画要綱においては、濠の埋立整地事業にあたって『いかなる風光明媚な地であっても、ここに住む人々の健康を害し苦痛を加え生産に悪影響を及ぼす疾病があればその土地の大なる発展は期待し得ない』とする問題意識が表明されていた。これを鑑みると、『風光明媚な歴史的』景観だが、蚊の発生する非衛生的な景観と認識された濠を、『近代的』で衛生的な景観に改変する衛生土木事業は、彦根市においてはことさら、近代化に基づく発展を象徴する都市計画事業として動機づけられたように思われる」。「率先して埋め立てられた外濠は、マラリア媒介蚊であるシナハマダラカの幼虫調査の地点数は少なく、(中略)蚊の発生源を埋め立てたという事実の妥当性が欠けているように思われた。彦根市による衛生土木工事の推進には、非衛生的な『古い街』を改変し、衛生的な『新しい街』を築きあげる象徴的な意味づけが伴っており、これが景観保全と衛生事業との価値対立として表面化した一面もあったものと推測される。」
 住む人々の健康を害する疾病撲滅への明快な回答と行動がある。その結果、マラリア患者は、昭和29年(1954)にはゼロになり、マラリアの撲滅に成功したとされている。論文は2011年のものだ。後の世から過去を振り返れば、マラリア撲滅を掲げた濠の埋め立ても、近代化の名のもとに推し進められた施策だったことが判る。
 現在……、新型コロナ収束の名を借りて、様々な施策が実施されている。後の世に過去を振り返ったとき、何を思うのだろう……。少し心配になってきた。

小太郎

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