長浜の鍾馗さん
「鍾馗」は、中国唐代に実在した人物である。科挙に落第し、傷心癒えず自殺したが、玄宗皇帝(在位712〜756年)が憐れんで科挙合格者とし丁重に葬った。そして、皇帝が瘧(おこり)にかかった時、夢に現れ、「虚耗(きょぼう)」と名乗る悪鬼を撃退した。鍾馗は、丁重に葬ってくれた礼だといった。玄宗の病は治癒し、以来、この伝説から鍾馗が邪気や悪鬼を祓(はら)うと信じられるようになった。
日本では、右手に破魔の剣を持ち、左手で八苦を抑えて周囲をにらむ姿の鍾馗が一般的だ。端午の節句の人形や屋根の上の鍾馗さんのほか、その図像も魔よけの効験があるとされ、旗、屏風、掛け軸の人気のモチーフとなった。
彦根市では屋根に置かれた鍾馗さんが約70体確認されている。鍾馗さんはお寺の鬼瓦に面する屋根に置かれていることが多い。これは、お寺の鬼瓦によって払われた厄災が家に入ってこないようにするためだといわれている。ひょっとすると、彦根はマラリア(おこり)の多い地域だったので、屋根の上の鍾馗さんに願いを託したのではないだろうか。新型コロナウイルスも祓ってくれるかもしれない。
鈴木達也さんは、彦根の鍾馗さんを調査し『鍾馗さんMAP』を作った人である。「何故か、米原の旧近江町以北で、鍾馗さんは発見されていないのです。もしも長浜市で鍾馗さんが発見されたら第一号です」と、2013年に鈴木さんに聞いた。
以来、湖北へ出かけると屋根の鍾馗さんを探すようになった。長浜市高田町で屋根の上の鍾馗さんを見つけたが、それは近年に設置されたものだった。やはり旧近江町以北には、鍾馗さんを屋根に戴く習慣はなかったのか……。
2月中旬、長浜市室町の柴田さんから「鍾馗さんかもしれない」と電話をいただいた。明治の頃に建てた家のもので、改築するときにおろして保管していたものだという。
鈴木さんとうかがう予定だったが時間が合わず、3月16日、僕一人で訪ねることになった。
一対の鬼瓦だった。片方は自宅で、もう片方は米原の親戚宅で保管しているという。ところどころ破損していたが立派な鍾馗さんだった。
宮司町のお城が廃城になり、そのときに家を建てる用材として手に入れたのではないかと伝え聞いているという。鬼瓦には「松原 瓦権作」と彫られていた。
宮司町のお城とは、おそらく宮川陣屋のことだろう。日枝神社付近が宮川陣屋跡だ。宮川藩は元禄11年(1698)上野国吉井藩から堀田正休が1万石で入封し、陣屋を構え、明治4年(1871)の廃藩置県により宮川藩は廃された。
この鬼瓦、由緒ある鍾馗さんなのである。
次は、「松原 瓦権作」の銘からアプローチしてみたい。
【風伯】