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樹齢千年超の“逆杉”

長浜市木之本町石道・高尾寺跡

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 2021年2月9日更新

 

 樹齢千年を超えると言われる「逆杉」を初めて見たとき、生涯で初めて〝息をのむ〟というのはこんな風なのだろうと思った。高尾寺跡の標識が立つこの場所に来るまで、全くその姿を見ることはなかった(と思う)。足元ばかりを見ながら山道を登り、やっと平坦な場所に出たなと顔をあげると、歩く速度に合わせて左手にその姿がすーっと現れ、その立派さに息をのんだのだ。こんな立派な木は初めてだ。ずーっと前、屋久島で縄文杉を見損なったが、あれほど遠くへ行かなくてもここにあるじゃない、樹齢千年、充分だ。樹高は約31m、幹回りは約7・8m、高すぎてカメラに納まりきらない。そして何より〝神聖さ〟が半端ない。
 逆杉があるのは、長浜市木之本町石道の山中。十一面観音様がおられる「石道寺」の駐車場横の道をさらに奥に進むと高尾寺跡・己高山登り口と書かれた看板があり、ここから登る。距離にして1kmほど、高低差は約250mと、ツアーの資料に書かれている。ここにあったとされる高尾寺は、奈良時代、行基が堂宇を興し、「紅葉山高尾寺」と称し、鎮守には牛頭大王を祀った。その後、延暦年間に伝教大師・最澄が再興、「己高山高尾寺」と改称、己高山五ケ寺の一つとして中世においては栄えた。その後寺運は衰退、己高山寺院の中では最も早くに無住となり、室町時代の大雪で堂宇の大部分が破損したとある。
 逆杉は、伝教大師・最澄が玉串として使った杉の枝を地面に挿したものが成長、枝が根の様にでていることから「逆杉」と呼ばれ、県の指定自然記念物になっている。周辺には紅葉樹が多く、山号を紅葉山と付けたのもうなずける。逆杉の近くにある小さな祠は、牛頭大王を祀った神前(かみさき)神社の旧跡で、集落内の現在地に移転したのは明応9年(1500)のことだそうだ。
 ツアーに同行された「いしみち里山保存グループ」代表の池田金夫さんからもお話を聞くことができた。逆杉には立派なしめ縄がまかれているが、以前は毎年、縄をない、しめ縄を作り、4月29日にこの地で新たにかけ、祭礼をしたそうだ。昭和40年代頃は集落中の人が登ってきていたとも言われ、さぞや賑やかだったことだろう。現在、毎年しめ縄をかけ直すことはなくなったが、氏子代表が詣でることは続けられている。4月29日なのは明応9年、現在地に移転した日だからだと言われた。逆杉に会いに登った道は、石道の人たちが500年以上前から登り続けてきた道だったのだ。
 池田さんは、壬申の乱のころ、石道の五鬼ケ谷というところに住んでいた腕の良い樵(きこり)の谷蔵の話をされた。大津の都に召し出され楓の木を伐ることを命じられた際、身重の姫を託され、五鬼ケ谷の山中で姫とその子を守りながら、養うために足りない金品を旅人から奪っていたが、役の小角に諭され改心したという昔話である。「子を産んだ姫のお祝に人々は小豆団子を作ったが、石道では「名付け」に小豆団子(小豆)を持っていく風習があり、山中には谷蔵屋敷の碑が立っています」と話を結ばれた。
 山中にあって堂々と立派な逆杉、この場所に集い続ける石道の人たちと語り継がれた言い伝えに、いいな、面白いなとまた好きなものが増えた。

蜻蛉

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