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渋沢栄一と大東義徹

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 彦根市 2021年1月4日更新

 2021年NHK大河ドラマは「青天を衝け」、主人公は「渋沢栄一」。2024年に新1万円札の顔となる人物でもある。
  「事業が正業であるならば公益と私益とは一致し、商人を国家を裕福にする実業家と位置づけ、企業の目的が利潤の追求にあるとしても、その根底には道徳が必要であり、国ないしは人類全体の繁栄に対して責任を持たなければならない」。渋沢は生涯、「道徳経済合一」(『論語と算盤』)、利潤と道徳の調和を説き、国を富ませ、人々を幸せにすることを考え、実践した。
 渋沢は天保11年(1840)2月13日、現在の埼玉県深谷市血洗島(ちあらいじま)の農家に生まれた。
 大東義徹は天保13年(1842)7月、彦根藩足軽の小西貞徹の次男として生まれる。渋沢と同時代の政治家である。明治23年(1890)の第1回総選挙で衆議院議員に選ばれ、明治31年、憲政党を与党とする第一次大隈内閣が組閣されると、司法大臣を務めた。
 『彦根郷土史研究22号』(彦根史談会・1986)に、「大東義徹と籠手田知事との書簡」と題して、世良琢磨が一文を寄せている(世良は大東の娘文子の夫)。
大東自筆の書簡が印刷され、読み下し文、解読、説明が載っていた。以下は「説明」部分の抜粋である。
 『大東たちは知事(県令)から御馳走になったらしい(大東はまだ大臣になっていなかった頃か)。その時、知事は(理由のない)金一封を扇子にのせて(感謝の意を示す作法)、列座の一同にくれたらしい。この手紙は、大東が理由のない金を貰うことを心持よく思わないで、それを知事に返すに当っての手紙である、と思われる。
 その場で返しては、知事は赤い顔をせんならんであろうし、貰って帰りたい同席の者の心を察しない無粋の仕方でもある。だから、一応「酒で前後を忘れて」持って帰った形にして、あとで自分は返したものと思われる。そして、紙幣をくれたことも、一同がそれを持ち帰ったことも、知事は「酔いつぶれていた間の出来事で誰か、多分秘書か部下かがしたのであろうが」と、大東が次回知事に会った時に、知事が赤い顔をしないですむように、心用意した文言にしたのであろう。
 知事は、大東の不浄の金を心良しとしない心の清らかさと、周りの人々を傷つけない配慮とに感心したと見え、この手紙を大切に子孫に残したのであろう(この手紙はその孫の手許にある)。そうでないとすれば当時天皇に直属する高い地位にあった知事が、こんな個人的な詫び状などを永く残すわけがない、と私は考える』。
 「不浄の金を心良しとしない心の清らかさと、周りの人々を傷つけない配慮」、「道徳が必要であり、国ないしは人類全体の繁栄に対して責任を持たなければならない」。
 コロナ禍の2020年、僕の心に残った2つのフレーズである。そういうあたりまえの心を何処に置き忘れてきたのだろう。

小太郎

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