山内さんの 愛おしいもの・コト・昔語り「野辺送り」

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 長浜市 2021年1月15日更新

さんまい(墓地)

香典受納帳

 ご縁があって、長浜市木之本町古橋にお住まいの山内喜平さん(93)和子さん(93)ご夫妻にお会いしてお話を聞き色々教わっている。ふと耳にする山内さんのお話が面白い。今回は前回にも少し触れた「野辺送り(葬式)」。
 かつて古橋では死者を弔う野辺送りが行われ、黒打掛に白手拭いを被った女性に続いて松明、三具足、提灯、輿と呼ぶ棺、一般参列者らが行列して弔い場所である〝さんまい〟へと行列したことを書いた。さんまいには南無阿弥陀仏と彫られた石と、二つ並んだ切り石、黒く平らな石があり、棺は切り石の上に、三具足などは黒い石の上に据え、僧侶の読経、近親者らの焼香が行われた。一般参列者は焼香はせず、送りにだけ参列、焼香を終えた喪主らは来た道を戻り、〝礼場(れいば)〟と呼ばれる場所で参列者に頭を下げ謝意を伝えたそうだ。さんまいから礼場への道の両脇には麻殻で作ったろうそく立てにろうそくをそれぞれ6本立て、道を照らしたそうだ。喜平さんは、かつての野辺送りは夕方に行われ、山仕事や農作業などの仕事を休むことなく、皆で弔える配慮なのだと言われた。
 もう一つ、さんまいには〝野飾り〟と呼ばれる品々を準備したそうだ。藁で作られた飾り、箱菓子、団子などで、木之本には一式を商う店が何軒かあり「古橋です」と告げると古橋の葬式で使うもの一式を揃えてくれたといわれ、集落ごとに揃える品々が異なっていたのだろう。
 和子さんは団子の作り方を年長者のおばさんから教わったこと、喜平さんは団子を押さえて形を整える道具があったことも話してくださった。親戚や近所の人たちが手分けして野飾りなどを準備、抜かりのないよう忙しく働かれたに違いない。
 さんまいでの式が終わると、棺は少し高い所にある火葬場に運ばれ荼毘に付された。点火するのは喪主、炭1俵(15kg)、割り木が4束ほど必要で、骨上げは翌日だ。一連の流れを聞き、弔いは集落の中だけで完結していたことがわかる。
 喜平さんは「香典受納並斎呼帳」と書かれた手作りの帳面を見せてくださった。「昔の弔いではこのような帳面は、皆、作らはった」と言われ、最も古いものは明治20年のものだ。葬儀一切の記録で、野辺送りの際、松明や提灯などを持った人の名前も書かれている。

松明用の麻殻  長さ約50cm

 松明は男子の孫、提灯は娘婿、輿をかくのは息子というのが一般的で、揃わなければ親族が加わった。娘と息子がそれぞれ四人いれば「四提灯、四人腰」と言い、男子の孫もいれば一番良いカタチと言われたそうだ。喜平さんは姉妹が二人、兄弟が五人。ご両親の野辺送りでは末の弟さんは〝添腰〟と書かれている。野飾りの采配と火葬を行う人は〝野仕舞〟、〝帳持〟は葬式の一切を指図する人だ。野仕舞の人は、葬儀後、風呂に入ってもらい、正座でもてなすと決まっていた。
 明治20年に作られた帳面には、〝あなほり〟という役があり、当時は土葬だったことがわかる。香典は米で、一升とか五合などと記されている。
 はじめて聞いた〝黒打掛〟をきっかけに、古い弔いの様子を知ることができた。喜平さんが話してくれると、それぞれに込められた意味もわかり、いつも以上に有難い思いが湧いてきた。

光流

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