石田群霊碑

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 彦根市 2020年12月10日更新

佐和山山中に在り続ける石田群霊碑

 山を染める紅葉が美しい季節である。DADA発行日の翌日、11月23日には、「琵琶湖一周のろし駅伝」が開催される。多賀町の5か所の城跡が10時に一斉にのろしを上げてスタート。39か所の城跡を時計回りでめぐり最終の佐和山城に12時18分頃に到達するらしい。
 この日、彦根市では石田三成公を慕う有志による「三成の戦実行委員会」が午前中(9時〜11時)「石田群霊碑」までの参道整備を行うという。
 『井伊家筆頭の菩提寺である清凉寺は、嶋左近の屋敷地であったことでも有名である。本堂裏手の墓地には、井伊直政からの歴代蕃主の墓が整然と並び、さらに山手を行くと、木立の中に「石田群霊碑」がひっそりと立っている。11代藩主直中の意向により、18世漢三和尚が建立したもので、当時、お家騒動が絶えなかった井伊家では、成仏しきれないでいる石田の霊の仕業だと恐れ、件の供養碑を建てたのだとも聞く』(『三成伝説』オンライン三成会編・サンライズ出版)。
 石田群霊碑の存在は一般にはほとんど知られていない。彦根市が佐和山の西の丸上段曲輪に案内板を立てており、地図には竪堀を下って群霊碑に至るように描かれている。しかし、竪堀を下る道は、傾斜が急で危険が伴い、ルートを知らないと迷うこともある。更に、遺構破壊に繋がるかもしれない。
 そこで、実行委員会は清凉寺から登ることができるルートを清凉寺さんの許可を得て、定期的に整備する予定だという。
 それにしても、関ヶ原の合戦から200年が過ぎても、石田三成のことを忘れなかったとは……。江戸時代の平和は戦国時代の人が人をお互いの正義のもとに殺し合う時代の上にある。美しく描かれた戦国武将たち、イケメンの擬人化された刀剣、もてはやされる鬼殺隊。ゲームやアニメを楽しむのも良い(僕も大好きである)。そういう現代に、石田群霊碑は、殺戮の歴史であることを今に伝えている記念物なのである。

 

風伯

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