山内さんの 愛おしいもの・コト・昔語り「黒打掛」

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 2020年12月16日更新

黒打掛姿の和子さん

 ご縁があって、長浜市木之本町古橋にお住まいの山内喜平さん(93)和子さん(93)ご夫妻にお会いしてお話を聞き色々教わっている。ふと耳にする山内さんのお話が面白い。今回は「黒打掛」。
 黒打掛は集落で亡くなった人を弔う〝野辺送り(葬式)
の際、女性たちが羽織った着物だ。平成元年、喜平さんのお父様が亡くなり、喜平さんの弟さんらの仕事仲間も弔問に訪れた。初めて〝野辺送り〟に参列された末の弟さんの上司が口にされた感想は「時代絵巻を見ているよう」だった。黒打掛姿の女性たちと、そのあとに続く白装束の親族の姿を指しているのだと思われる。
 黒打掛は決して高価な着物ではなく、木綿で作るのが一般的で、和子さんは嫁ぐ際、喜平さんのお母様から「誰からも借りることも、貸すこともできないものなので持ってきて欲しい」と告げられたことを覚えておられた。嫁いで以降、何度も着たので作り直したとも言われた。単衣で背中には家紋が染め抜かれ、サイズは一般的な着物と同じ。「羽織るので手でつまんで持ち上げないと裾を引きずってしまいます。歩くときには共布で作った細い紐などで結び留めておきました」と言われた。
 黒打掛の下に身に着けるのは何でもよく、野良着でも大丈夫。かつて、野辺送りは夕方に行われたので、畑仕事を終えてから駆け付けるのにはうってつけで、駆け付けてでも送りに参列する、死者を弔う気持ちの表れだったとお二人は振り返る。
 集落の人が皆参列し、「借りることも貸すこともできない」のはそのためだ。おそらく100人以上の女性が黒打掛を羽織り参列しただろう。「写真があれば良かったのですが、それを撮っている人はいないやろうなぁ」とお二人が残念がられる以上に、見てみたいのは私の方だ。
 野辺送りでは、出棺の声がかかると、黒打掛姿の女性を先頭に親族が持つ松明、提灯、三具足(香炉・鶴・花)、輿、親族、一般参列者が続き、〝さんまい(葬式場)〟へ向かった。
 女性たちは、白い手ぬぐいを姉さん被りにすることも決まっていたそうだが、これは略式で、正式には「かずき」と呼ばれる風呂敷大の薄い布があったそうだ。「じいちゃんが亡くなった時、ばあちゃんがかぶって、縁側から見送られた」と和子さん。気になったので広辞苑を見てみると「かずき」には頭をおおうこと、頭にのせることの意がある。さらに「きぬ・かずき」があり、「平安時代ごろから身分ある女性が外出時顔をかくすためにかぶったこと、またはその衣」とある。時代劇などで薄い着物をかぶる女性を見たことがあるが、それをきぬかずきとか、きぬかつぎ、きぬかぶりと呼ぶようだ。古橋のかずきの語源は頭をおおうことかもしれないが、材質も考えると「きぬかずき」かもしれない。
 「黒い草履を履きましたが、雨や雪の際には長靴を履いたこともあります。寒ければ下に防寒着も着られます。黒打掛は便利なものでした」と和子さん。男性はどうしていたのですか? と尋ねると、「普段着に輪袈裟や」と少々そっけないが、その方が参列しやすいに違いない。何故、女性が先頭を歩くのか、他の地域にも黒打掛があったのかなど、気になることが次々出てきたお話だった。
 平成8年のお母様の野辺送りの後、一人か二人の野辺送りがあったようだが、集落内の取り決めとして一般的な葬儀を行うようになり、黒打掛を着ることはなくなった。コロナ禍では家族葬も増え、皆で弔うことも叶わなくなった。弔いのカタチが急激に変わっている。

編集部

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