山内さんの 愛おしいもの・コト・昔語り「かぼちゃの種取り」
ご縁があって、長浜市木之本町古橋にお住まいの山内喜平さん(93)和子さん(93)ご夫妻にお会いしてお話を聞き色々教わっている。ふと耳にする山内さんのお話が面白い。今回は、「かぼちゃの種取り」。
「かぼちゃは、朝、7時半から8時ごろに花が開くんや。前の日に、開きそうな花を開かないように輪ゴムで留めておくんや。ほして翌朝、ゴムを外すと、ふわーと花が開く。開いたら雄花の花粉を雌花に付ける。ほしてまた輪ゴムで閉じるんや」。
喜平さんが話し始めたのは昭和28年か29年……、高時村役場の新井村長と一緒に販売目的でかぼちゃの種取りを行ったときのことだ。新井村長が村に現金収入をと農協を通じて種取りを請け負ったものの、担当してくれる人が見つからず、喜平さんにお願いされたそうだ。この時、喜平さんは農業改良普及員で、伊香郡を担当していた。育てたかぼちゃの品種は「打木(ウツギ)早生」。外皮が赤橙色をしていて、当時古橋で栽培する人はなかった。
ほかの品種と交雑しないように花をゴムで閉じるとはなかなかの名案だが、どの花でも良いわけではなく、雄花も雌花も厳選、雄花一つに雌花三つほどを受粉させる。時期は7月末から8月末までの約1か月間。受粉させた花には受粉日を書いた札を付け、札のない花が実ると廃棄した。
目的は種取りである。かぼちゃは受粉後おおよそ60日、完熟させて9月中旬から10月末に収穫する。種を取り出し水洗いした後、天日乾燥させる。喜平さんは20リットル余り、新井村長は約30リットル、合計して約50リットルの種を得ることができ、種苗業者に買われていったそうだ。けれど、播種後から毎朝畑へ行き、収穫までの世話はなかなか大変で「気を張る毎日、もう二度としたくはない」と1回限りでやめてしまった。
一体何個のかぼちゃを収穫したのか、「ほれは覚えんのや」と言う喜平さんは、ニコニコ笑いながらこんな話を続けた。
「ほの年、小学生と中学生の弟が、朝礼の時に保健の先生に呼び出されて、目をくるっとひっくり返して白目を見てもらい『大丈夫や』って言われたことがあったんや。かぼちゃの食いすぎで体が黄色くなったんやな」。
時期は10月頃、運動会を前に保健の先生は黄疸を疑われたのだろう。ご家族にとって思い出深い話のようで、和子さんは「かぼちゃを食べるたびにその話を聞いた」と微笑まれた。
種を取るためには、かぼちゃを切らねばならない。切れば食べるしかない。自宅だけでは食べきれず、隣家におすそ分けしようにも、切ったかぼちゃなので、親しい人にしかもらってもらえなかった。それでも「旨いかぼちゃやった」と皆が口をそろえたのは、完熟していたからだ。しかも当時は日本かぼちゃが主流で西洋かぼちゃ系の「打木早生」は甘みもホクホク感も強く、「毎日食べられたのは旨かったさかいや」と喜平さんは話す。
朝礼で呼び出された小学生の弟さんも今は70歳を過ぎ、現在愛知県に住んでおられる。今年、打木早生を道の駅で見つけて、煮物にして食べたそうだ。「兄ちゃん、あの時のかぼちゃほど旨くなかったわ」と電話があった。弟さんは、かぼちゃを食べるたびにあの時の味を思い出すと言い、種を炒って食べようとしたら、紙のように薄くできなかったと話されたそうだ。
喜平さんは「炒った種は子どものおやつやった、栄養価も高いんやで」。収穫したものの、ヘタの部分にわずかでも緑色が認められたり、外皮に緑色や白色の斑点が認められたりしたかぼちゃは雑種化しているからと、その種は不合格にした。そのため、捨てるには惜しい種がたくさんできて、炒って食べたという訳だ。
「同じ大きさのかぼちゃ、重い方と軽い方、どっちが完熟やと思う?」と問われた。野菜は重い方が良いような気がしていたので「重い方」と答えると、やっぱりと言う風に「軽い方や」と言われた。「かぼちゃは熟するほど水分量が少なくなるでな」とその訳を教えてくれた。
【編集部】