目指すべきモノ ― 初めての炭焼きの成果 ―
長浜市余呉町上丹生
長浜市で林業や森林整備で地域おこし協力隊として活動している子林葉さん(37歳・余呉町東野)と堀田涼介さん(27歳・余呉町下余呉)が、初めて挑戦した炭焼きの成果を確かめる炭出しをされると聞き、7月下旬、余呉町上丹生へ見せてもらいに行った。窯の焚き口を塞いだ壁をいよいよ崩し始めるところだった。
二人が師匠と呼び、炭焼きを教わっている石橋萬次郎さん(71歳)も来ておられた。「ツルハシで上から土壁を落とし、次に中の石も上から崩すんや」と石橋さんが言葉を発し、人が一人、やっと通れるくらいの壁が崩れると、窯の内部が見えた。
平成17年7月に「廃れつつある炭焼きの技術を後世に継承する」ことを目的に「余呉炭焼倶楽部」が発足した。以来、石橋さんは倶楽部の会長を務めてこられたが、炭焼きを生業にしていたわけではなく、ご自身も先輩たちから炭焼きを学んでこられた。二つ築かれた倶楽部の窯の一つを子林さんと堀田さんが石橋さんの指導で修復し始めたのが昨年の4月。炭材をいっぱいに詰め終わった12月に窯の天井を作り上げ春を待つことになった。窯の内部と天井は土壁である。壁を乾燥させるために窯の入り口で火を焚き、送風機で風を送り始めたのが5月ごろだった。
炭焼きだけに専念することができない二人は時間を見つけては作業を行うため、なかなか思うように進まない。「もう少し乾燥が必要」と考えていた6月12日、子林さんは石橋さんから「煙突から煙が出ている」と聞き、早朝、窯に駆け付け、急遽「焚こう」と炭焼きを始めることになった。
石橋さんに教わりながら窯に点火させて焚口に石を積み、壁を塗り、小さなのぞき窓から内部の燃焼の様子と温度計を頼りに窯を塞ぐのを見計らったそうだ。「石を積み上げる際は無茶苦茶熱かった」と話す子林さん。二人は厳かな火入れ式をセレモニー的にしたかったそうだが、そんな風に炭焼きが始まり、終わった。
窯から出した炭は満足できるものではなかったが、堀田さんは「天井と壁が持ちこたえてくれたので、その点は成功」と言い、子林さんは「次に焼くときは、伐り出した木をすぐに焼きたい」と再挑戦を見据えている。石橋さんが、「良い炭とはこういう炭」と、二人に見せたのは黒光りがして、見た目以上に重量感があった。
かつて炭焼きを生業としていた人たちは、炭を焼いている時間を利用して次の炭材となる木を伐り、炭出しが済めばすぐに次の準備に取り掛かり、伐採後時間をおくことはなかったのだ。
二人はともに、地域おこし協力隊としての任期を終えた後も余呉での暮らしを考えていて、山の整備などで出た木材を炭に焼き、その収入が暮らしを支える一部になり、整備を続け、「利益を山に返す」ことができればと考えておられる。
「ひょっとしたら日本で一番若い炭焼き師かも」と笑うお二人が頼もしく見えたのは、目指すべきものがわかっているからだと思う。
平成17年、余呉炭焼倶楽部が窯を作った様子などは、「独立行政法人水資源機構 丹生事務所」サイトの「お知らせ」の中で見ることができる。
「余呉の炭」は長浜市木之本町内のホームセンターで販売中。
店舗等の情報は取材時のものですので、お訪ねになる前にご確認ください。
【蜻蛉】