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不立文字

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 彦根市 2020年7月30日更新

 生来の人見知りで出不精であるにも関わらず、人と会う仕事をしている。書く仕事を選んだのは、話すのも苦手だったからで、考えていることを書き直しできるからだった。発した言葉はもうもどらない。
 雨がたくさん降って、近ごろは「丁度良い(好い)加減」というものがなくなった。全てが過剰だ。コロナ禍のニューノーマルは、僕のライフスタイルには適しているかもしれない。自分の裁量で好い加減を調整できるから、少し楽に生きることができる。人によって「丁度良い(好い)加減」が異なることも知っている。書く仕事を選んだにも関わらず、最近は書くのも苦手だ。長く生き、知識も増え、世間というものが大きくなるたびに怖いものがどんどん増えていく。
 「不立文字(ふりゅうもんじ)」という熟語がある。文字や言葉ではなく、心から心へ伝えるという禅の思想だ。行間を読む、あるいは、言葉になる以前の気持ちを知るという意味だろう。言葉になる以前の気持ちを知ることができたなら、もっと優しく平和な世の中になるのかもしれない。
 言葉は不便だ。100パーセントの気持ちを伝えることはできない。「空がきれいだ」と言っても、僕の「きれい」とそれを聞いた相手の「きれい」は同じではない。説明をすると、その説明をするときに使った言葉を説明しなければならなくなる。「不立文字」。僕は怖いものが増え、どんどん無口になっていく。

編集部

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