足腰安全のご利益

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 彦根市 2020年6月30日更新

 国道306号線、野田山町の信号に「金毘羅宮」「慈眼寺(じげんじ)」の看板がある。何時か行ってみたいと思っていた。DADAジャーナル4月号に彦根藩士平石久平次によって作られた世界初の自転車「新製陸舟奔車」の記事を書いた。「よく似たものが金毘羅宮にある」と友人が言うものだから、ようやく金毘羅大権現に参ることができたのだった。
 麓に「白象峰金毘羅大権現」の石碑がある。鳥居をくぐり石段を登ると、曹洞宗福聚山慈眼寺の本堂と観音堂に至る。
 今から1300年ほど前、行基作と伝わる十一面観世音が祀られ、そのときに植えられたという3本の杉が天高く聳えている。滋賀県指定自然記念物(平成3年3月1日指定)で最大のものは幹周5・1メートル、樹高40メートルに達し、奈良の時代から在り続けた時間を物語っている。

 鳥居をくぐりお寺に参るのは不思議な気分だった。慈眼寺は神仏習合の名残りを色濃く残す寺院で、江戸時代へとタイムスリップしたかのようである。御朱印にも「金毘羅大権現」と墨書される。慈眼寺が「野田山の金毘羅さん」と親しまれるのは、寺院か神社かなどは関係ないからだ。
 寺伝には、織田信長が近江の寺院を焼き払った元亀2年(1571)、当時天台宗だった寺院は灰燼に帰した。荒廃した寺は、江戸時代中期、宝永元年(1704)に堅央慧煉大和尚が自ら開山となり曹洞宗の寺院として再興。延享元年(1744)、慈眼寺第九世徹聰大和尚が讃岐金毘羅宮から金毘羅大権現を請勧して祀ったとある。
 済民救国を願った徹聰大和尚は、白髪の老人のお告げにより讃岐象頭山金毘羅宮(現・金刀比羅宮)に参籠し21日間(三七日)の祈願を行った後、霊験を受け御尊像を慈眼寺に持ち帰ったのだ。

文化8年(1811)に、足腰たたず不自由な近江浅井町の住人が、金毘羅大権現までやってきたときに使った小車。

 さて、慈眼寺の金毘羅宮は「山の中でも野田金毘羅は病厄除けあらた神」と詠われ、病厄除けのご利益で知られているが、特に「足腰安全のご利益」があるという。
 「文化8年(1811)、永年足腰たたず不自由な身を嘆いていた近江浅井町の住人が、金毘羅大権現のご利益を聞き、不自由な身を小車にのせはるばる来山し、参籠祈願21日間に及ぶ満願の日、足腰が立って自由に歩くことができた」という実話が残っている。ご利益を受けた体験を後世に伝えるため奉納された小車の実物が展示されている。
 友人が教えてくれた「よく似たものが金毘羅宮にある」というのはこの小車のことだった。人が座って乗ることができる車輪の付いた木箱で、件の「新製陸舟奔車」ではなかったが、僕は「金毘羅大権現」を訪れることができたことに感謝した。ウィズコロナの社会で「病厄除けプラス足腰安全」ご利益は実に魅力的だ!!
 旅が容易でなかった江戸時代、讃岐(香川県)象頭山金毘羅宮への遙拝所のある慈眼寺は中山道を行き交う人々にとって、ありがたかったに違いない。いかに信仰を集め人気だったかは、中山道の石の道標が物語っている。
 僕は今、子どもの頃のようにお守りを首にかけている。

福聚山慈眼寺

滋賀県彦根市野田山町291
TEL: 0749-22-2273

慈眼寺は「金毘羅さん」と呼ばれ親しまれている。神仏習合の名残を色濃く残している。

店舗等の情報は取材時のものですので、お訪ねになる前にご確認ください。

雲行

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