山内さんの愛おしいもの・コト・昔語り オコナイの「五汁」と「油揚げ」
ご縁があって、長浜市木之本町古橋にお住まいの山内喜平さん(92)和子さん(92)ご夫妻にお会いしてお話を聞き色々教わっている。ふと耳にする山内さんのお話が面白い。今回は、古橋では3月初めに行われるオコナイにちなむ「五汁」と「油揚げ」のお話。
「小さいじぶんに、作ってやはるのを見てびっくりした覚えがあるんや」と喜平さんが話し始めた。「大きな鍋に、一升瓶に入った油を入れてにえたぎらさはるんや。ほして豆腐をちぎって入れやはると、バリバリッと大きな音がしてびっくりしたんや。豆腐は油揚げみたいになるな。ほこに大根やら人参、里芋、昆布を入れて炊いたのが五汁で、汁ではなくて煮物なんや。3日間行われるオコナイの初日に作って、ずっと食べ続けやはるんや」。五汁は、食事の支度を省略できるように、一度にたくさん作った「まかない料理」のようなもので、決してご馳走ではないのだそうだ。「どんな味やったかは覚えてないけど、うまいなーと思うた覚えはある」と喜平さんは懐かしそうだ。
古橋のオコナイは、6つの組が持ち回りで行う。喜平さんの最も古いオコナイの記憶は昭和9年、6歳のときだ。役員をしていた父・喜四郎さんに代わって「家役」として本膳の席に着いたお話は以前に紹介したとおりだ。次が昭和15年。五汁の想い出は、この年のことかと思われる。以後、戦争もあり、オコナイで作られることはなくなったようで「もう知る人はいやあれんかな」と話してくださった。
五汁が喜平さんの記憶に深く刻まれたのは、豆腐が油に入れられた際の音だったのだが、豆腐と言えば和子さんが「家で作った油揚げをたべさせてあげたいわ」と何度も言ってくださる。なんでも手作りする喜平さんは、豆腐も油揚げも手作りの経験があり(とっても美味なのだそうだ)、そのための道具もさまざまに作っておられる。その道具類を見せていただく機会に恵まれた。昭和60年、家を新築するにあたり、仮住まいをするのに建てられた別宅を見せていただいた。喜平さんにとっては秘密基地のようなところになっている。そば打ちや、豆腐作り、製茶用の道具はもちろん、漬物桶から電動カンナなどの機械類、色々なものがきちんと整理されてあった。
豆腐作りは、農業改良普及員時代に生活改良普及員が行った栄養指導の講座を見たのがきっかけで始められたが、それより前、母の小春さんが豆腐屋さんに嫁いだ伯母の家で子守をしながら豆腐作りを見ておられた記憶を喜平さんに話されたこともきっかけになっているようだ。
小春さんは「豆腐と油揚げ用の豆腐は作り方が違う」と言われ、喜平さんのうまい油揚げの作り方に活かされているそうだ。時折、喜平さんと和子さんのお話に登場する小春さんは、喜平さんと同じように何事も注意深く興味を持って見聞きする人だったのだなぁと思っていたが、小春さんが幼いころに知った豆腐作りのことを話し、それをちゃんと記憶して実践する喜平さん、いつものことながら驚いたり感心したり……。
うまい油揚げを作る方法は、水と一緒にすりつぶした大豆(生呉)をすべて煮ず、少量を取り分けておき、火を止める直前、最後に加えるのだそうだ。そうすることで「油で揚げる際によく膨らむ」と喜平さん。大豆をすりつぶすことから始める油揚げ作り、考えただけでも大変そうだが、喜平さんの秘密基地でいつか手ほどきを受けたいとも思っている。珍しい料理のことも教わり、紹介できればと思う。
油揚げは、かつてオコナイの料理だった。豆腐屋さんに油揚げ用の豆腐を注文、「トウヤ」さんの家で油で揚げ、熱々をいただいたり、料理に使ったりしたようだ。「揚げたてを食べたかったけど食べられんかったんや」と息子さんがオコナイの時に食べそびれた話をされたのは、喜平さんの手作り油揚げが食卓に上がったときだったと、和子さんが思い出してくれた。
【光流】