失われる景観(記憶)と決意

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 米原市 2020年2月4日更新

 1月9日、米原市一色の「等倫寺(とうりんじ)」の本堂背後にある杉の大木を切るというので、朝、8時30分、カメラを持って僕は現場にいた。かつて、杉は三本あったが、残った一本が「等倫寺の杉」として歴史を閉じる瞬間に立ち会うのが目的だった……。
 等倫寺は『改訂近江國坂田郡志第六巻』(1971年)によると、「醒井村大字一色字中屋敷に在り。天正年間の創立と傳ふれども、寛文年間、祝融の災いに遇ひ、次で明和年間、悉く燒失して、(中略)現存の本堂は明和年中燒失後、再建したるものにして、現住曾我謙德より去る六代前なりしと言ふ」。明和は1764年から1772年だから、僕らが目にする風景は1772年以降、形作られたものだ。樹齢は200年余りだろう。

歴史的な記憶や個人的な思い出が詰まった杉の木

 2018年の滋賀県米原市で住宅など85戸が損壊し、8人がけがをした竜巻による突風被害や、勢力の強い台風は各地に甚大な被害をもたらしており、門徒の皆さんが話し合い自主的に切ることになったのだ。
 住職の曽我謙成さんは「高いので遠くからでも見えるシンボル的存在でした。切るのは残念ですが、近年の気象を考えると、リスクを減らしたい。被害がでる前にと伐採を門徒みんなで決断しました」と話す。
 杉の木は、古墳時代後期のこんもりと盛り上がった横穴式石室の外周に根を張り聳えていた。作業が始まると、枝が切り落とされ、あっ、という間に、杉の木など初めからなかったような景色があった。250年かけた景観は、歴史的な記憶や個人的な思い出も、3時間ほどで失われたが、新しい時代を生きる決意のようなものがあった。
 これはまた別の話だが、落ち葉の掃除が嫌なものだから、枝を切り落とすのとは決意の方向が全く異なるのである。

小太郎

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