山内さんの愛おしいもの・コト・昔語り「亀山の茶畑」

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 長浜市 木之本町 2019年8月13日更新

 ご縁があって、長浜市木之本町古橋にお住まいの山内喜平さん(92)和子さん(91)ご夫妻にお会いしてお話を聞き色々教わっている。今回は前回に続いて「亀山の茶畑」。
 前回、旧高時村の地域振興策として、昭和26年に亀山の山林を開墾、「等高線栽培法」を用いて子どもらが集めた茶の実を播いたところまでを書いた。等高線栽培法について喜平さんは、「台湾行政府で開拓の仕事に携わっておられた今井さんという県の技師さんから聞いていた」と言い、傾斜地を畑にする最良策だと採用した。喜平さんにとって今井さんは尊敬する人物の一人だったそうだ。
 約2メートル間隔で階段状に土地を耕し、茶の実を播く。「茶はまっすぐに根を伸ばす。成長すれば山が崩れることはない」という確信があった。
 山の開墾から播種まで、20代前半の若き喜平さんは30歳ほど年上のおじさんたちを采配していたのだが、先輩から「山内君、人を納得させ動かすには、仕事が楽で、儲かる、楽しいの3つが揃わなアカン」とアドバイスされた。
 茶を摘み、茶を作るだけでは金にならない。茶工場を作り売り出して儲ける。はさみ摘みができれば手摘みよりも効率よく楽しい……。
 喜平さんはアドバイスに従い3つを実現し、結果、皆が頑張ってくださった。以来40年の仕事人生の中で3つが揃うことを常に考えるようになったという。
 茶工場は昭和27年に完成。従来の茶畑をはさみ摘みに対応できるよう整備する人も現われ、遠く西浅井町やびわ町からも摘んだ茶葉が持ち込まれ、パンク状態になったそうだ。もちろん亀山の茶畑の茶はまだ摘める状態ではなかった。
「茶の実を播くとき、『気張って播いても、わしらはこの茶が飲めるんかいな』って言わはった。『ほのうち飲めるがな』と答えたんですが、何年先かはよう言わんかった、ほんでもな……」。
 茶を育てる過程に、茶の木を下から枝分かれさせこんもり繁らせるための株揃えという作業がある。茶の本場では3年目ごろの25センチくらいの高さで行うが、古橋では豪雪に耐えるには低い所から枝分かれさせれば良いと考え、1年目の秋、15センチくらいで行われた。
 そして2年目の株揃えを前に、「どーせ伐るんや、摘んだらどうや」と、茶摘みをした。茶の実を播いたおじさんたちは「播いた茶が飲めた、飲めたと喜んでくれやはった」と喜平さんは愉快そうな顔をされた。
 茶畑を整備し、茶を産業にと奔走する喜平さんは、年長者を敬いながら気持ちよく働いて欲しいと知恵を絞り、耳にした言葉を忘れることなく約束を果たされたという訳だ。
 亀山の茶畑が成果を出し始めると、伊香郡の雪深い所でも茶園ができたと知られるようになり、福井県の豪雪地帯にも茶園ができた。
「当時、古橋は最北の茶畑やったと思う」と喜平さんは思い返すが、画期的なことであったに違いない。その時からほぼ65年、良い思い出をお持ちだと羨ましくなると同時に、聞けば聞くほどに亀山の茶畑への興味が深まっていく。

 

光流

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