山内さんの愛おしいもの・コト・昔語り「 茶畑と子ども貯金」

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 長浜市 2019年7月1日更新

古橋亀山茶畑 ©ながはま森林マッチングセンター: ながはま森林マッチングセンターウェブサイトの「ドローンで見た湖北の森」で動画を見ることができる。

 ご縁があって、長浜市木之本町古橋にお住まいの山内喜平さん(92)和子さん(91)ご夫妻にお会いしてお話を聞き色々教わっている。ふと耳にする山内さんのお話が面白い。「愛おしいもの・コト・昔語り」は、私が聞いた中でもこれはと思った、或いは伝えておきたい山内さんの記憶である。今回は「茶畑と子ども貯金」。
 5月、お茶の話をしていると、喜平さんは「戦後、古橋で茶畑を整備したことがあったやろ。そのとき、茶の実を子どもらに集めてもろたんや。子どもらにお金を渡すのはよろしくないと、子ども貯金ができたんや。ほれが子ども貯金の始まりや」と話して下さった。「子ども貯金のはじまり?」、意外な言葉に詳細をきいてみた。
 昭和24年、当時の高時村の振興策として古橋で既存の茶園の改良と新しい茶畑を作ることが決まった。翌年、茶畑の整備にあたり、県推奨品種の苗木を試作で植えた喜平さん。ところが「冬を越すと、雪で苗木はみなダメになってしまいましたんや。この地にはこの地に合った茶の木でなけなアカンと、自生の茶の実を拾い、在来種を実生で育てることにしましたのや」。茶の実を拾うのに活躍したのが地元の子どもたちだった。昭和26年、農協に依頼して、子どもらが集めた茶の実を村費で買い上げ、子ども名義の預金〈子ども貯金〉にしたそうだ。集まった茶の実は約4000㍑と記録されているが、買い上げた単位と金額は記憶にないと言う喜平さん。それでも、「それが子ども貯金の始まりと聞いた」と記憶されている。茶の実を集めたのはその年限りで、高時小学校の全校児童ではなく、古橋と古橋周辺の児童・50人~60人ほどが中心だったと言われ、子ども貯金をしたのはその児童だけだったかもしれない。私が知っている子ども貯金は、小学校入学時に近くの農協で子ども名義の通帳が作られ、毎月決まった日に通帳が入った茶封筒を子どもが持ち帰り、2、3日内に封筒にお金を入れて学校へ持たせると言うもので、毎年1月にはお年玉を入れたこと、卒業時に解約されると結構な金額が貯まっていて、中学進学の際の制服や自転車購入などに充てたことが思い出される。なので、少し違っているが、子ども名義の貯金は当時としては画期的なことだったに違いない。「もう、知ってやーる人はやーれんな」と言う喜平さんの埋められない記憶を補う方法はないものだろうか……。
 昭和26年、茶栽培の中心地として、山林であった亀山(通称丸山)2.5haを開墾、翌年、喜平さんが立案した「等高線栽培法」で子どもらが集めた茶の実を播種。全山の播種が完了したのは4月25日だったそうだ。
 掲載した空撮写真は、ながはま森林マッチングセンターからお借りした。喜平さんに出会うより前、同センターのホームページで空撮動画を見て、「何、これ! 茶畑!」と何度も再生したことがあった。場所は紅葉の名所〝鶏足寺〟近くで、麓は何度も歩いているが茶畑は仰ぎ見たことしかなかった。そして今回、この茶畑ができた経緯を知り、喜平さんが深くかかわっておられたことがわかった。「等高線栽培法」、写真を見ていただけば察しがつくかもしれないが、当時、喜平さんが茶栽培を通して実践されたこと、学ばれたことなど、興味深いお話は次回に。改めて言う必要もないことだが、昭和24年、喜平さんは22歳である。

光流

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