啻豈に有形の徳のみならんや

薩摩治兵衛記念館 開館

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 豊郷町 2019年6月7日更新

 「バロン薩摩」とよばれ、戦前のパリ社交界で華々しく文化人たちと交流した薩摩治郎八というひとがいる。彼自身は明治34(1901)年に東京で生まれているが、その祖父・薩摩治兵衛は、天保元(1830)年、現在の豊郷町四十九院の貧しい農家の生まれで、丁稚奉公から苦労の末に木綿商として一代で成功し、「木綿王」と呼ばれるまでの豪商となったという。しかし世界恐慌を経て廃業を余儀なくされた薩摩家は、近江商人としては忘れられた存在といえる。
 四十九院にある「先人を偲ぶ館」には、薩摩家三代の資料が保管されている。七年ほど前、当時「バロン薩摩」について興味を持っていたわたしは、「先人を偲ぶ館」に足を運んだ。その敷地の入り口近くには大きな石碑があり、その大きさにまず驚いた記憶がある。
 その石碑は薩摩治兵衛を顕彰するものであり、その生涯について、細かく刻まれていた。また「豊郷村小学校及び道路改修の爲にするもの金参千円、田地を購ふ事参町五反歩余。其の所得を挙げて年の救貧の資とせり、村民之を徳とし、石に勒して其の徳を頌せんとす」と、出身地である豊郷への貢献が大きかったことも綴られている。
 石碑が建てられたのは明治43(1910)年、薩摩治兵衛が亡くなった翌年である。その当時、この敷地には「豊郷尋常高等小学校」があった。小学校設立に際して功績の大きかった薩摩治兵衛を記念して小学校の敷地内に建てられたようで、石碑の文は、「嗚呼、翁が賢実の精神と不撓の勤勉とは、千古不磨の教訓にして、長く村民に無形の徳を畀えたるもの。啻豈に有形の徳のみならんや。」と結ばれる。目に見える成功や富だけでなく、彼を成功にいたらしめたその人柄こそ地元に長く伝えられるべき財産だということだろう。

 「先人を偲ぶ館」の隣には、ひっそりとした洋館があった。じつはこの館が明治20(1887)年に落成した旧豊郷尋常高等小学校の本館だった、とようやく知ったのは、先日開かれた「薩摩治兵衛記念式典館」のオープニングセレモニーにおいてである。ヴォーリズ建築として有名な旧豊郷小学校に校舎が移ったのちの昭和14(1939)年に、同じくヴォーリズによって教員住宅として改装され、以後手を加えないままとなっていたという。平成19(2007)年には国登録有形文化財にも指定されており、豊郷における教育・文化・芸術の振興や文化財の維持・継承などを目的とする公益財団法人「芙蓉会」は、文化庁の補助金も得ながら6年の歳月をかけて、外観及び1階を明治新築当時の状態に改修、今月「薩摩治兵衛記念館」としてオープンした。
 とにかく当時の姿に忠実にと修復され、白い壁、鎧戸、バルコニーに瓦屋根と、和洋折衷の瀟洒な姿を見せている。芙蓉会代表理事の古川博康さんは「地元ではあまり価値が見出されていなかった建物だったが、今後観光スポットのひとつとなり、地域の人にも有効に活用してほしい」と話す。また、区長の渡邉則夫さんは、薩摩治兵衛について「地元でもあまりよく知られていないが、これを機会に注目が集まれば」と話してくれた。
 薩摩治兵衛の徳が形あるものとして継承されつつある今、その無形の徳のことも考えてみたい、と思っている。

薩摩治兵衛記念館

滋賀県犬上郡豊郷町四十九院815

入館・見学の希望、お問い合わせ
先人を偲ぶ館:0749-35-2484(火・木・土曜日 10:00〜16:00開館)
四十九院区長・渡邉則夫さん:0749-35-3093

店舗等の情報は取材時のものですので、お訪ねになる前にご確認ください。

編集部

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