遙拝と遠望
2020年1月からのNHK大河ドラマは「麒麟がくる」。明智光秀の物語とあって、多賀町では明智十兵衛光秀多賀出身説で盛り上がっている。 DADAジャーナルでも2014年12月、『光秀伝承を残す城 明智丸』のタイトルで『ふることふみ』の古楽さんの記事を掲載した。大河ドラマは地元を見つめ直すきっかけとなることは確かだ。
実は、2017年1月から放送された「おんな城主 直虎」のとき、その前年から彦根と井伊家本願の地井伊谷を繋ぐ事跡が彦根に遺されていないか、本気で調べたことがある。直虎に関する彦根の事跡はなかったが、井伊谷と井伊直政、井伊谷と井伊家を繋ぐようなものはいくつかあった。
そのひとつが、荒神山の麓にある「荒神山神社遙拝殿」(清崎町)である。遙拝とは、遠くへだたった所から拝むことをいう。荒神山神社は標高284.1メートルの山頂にあり、参道の本坂入口から遙拝できるようにと昭和34年(1959)に建てられた。
「荒神山神社遙拝殿由来」の石碑には「荒神山神社遙拝殿ハ元彦根城東里根山麓天寧寺境内ニ建立セラレシ祖霊社本殿ナリ。文政八年夏、井伊家十一代直中公ノ創建ニシテ、天寧寺トトモニ祖先ノ霊ヲ祀ル」と記されている。
井伊直中が文政2年(1819)に建立した天寧寺は五百羅漢の寺として知られている。その前身となったのは、彦根城下の上藪下(京町3丁目)にあった宗徳寺で、2代藩主直孝が初代直政の生母の菩提を弔うため、明暦年間(1655〜1658)に建立した。宗徳寺の寺号は直政の母の戒名「永護院殿蘭庭宗徳大姉」からつけられたものだ。いま「荒神山神社遙拝殿」で井伊谷と直政が繫がっている。
「遠望」とは、はるかに見渡すことだが、 将来までの見通しをつける、或いは、過去のある時代を、現在から顧みることをいう。「遙拝」と「遠望」は「見えないものを見る」こと、そして、それをする人々のそれぞれに「おもい」があることにおいて良く似ていると思うのだ。
「令和」という元号に、多賀の連なる山々に何を何処まで「遙拝」し「遠望」するかは、育った文化と知識によるのだろう。
【小太郎】