山内さんの  愛おしいもの・コト・昔語り『烏帽子米』

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 長浜市 木之本町 2018年12月6日更新

薬師堂の燈明(献燈祭)/ 木之本町古橋・2017年9月撮影

 ご縁があって、長浜市木之本町古橋にお住まいの山内喜平さん(91)和子さん(91)ご夫妻にお会いしてお話を聞き色々教わっている。ふと耳にする山内さんのお話が面白い。「愛おしいもの・コト・昔語り」は、私が聞いた中でもこれはと思った、或いは伝えておきたい山内さんの記憶である。
今回は「烏帽子米(えぼしまい)」。
 ご夫妻はかつて古橋で行われた風習やしきたり、制度を伝えておきたいと思うお気持ちが強い。「烏帽子米」もそのひとつだ。烏帽子米とは、その年に男子が生まれた家が集落に納める米のことで、長男は1斗2升、次男なら6升、三男はその半分の3升で、以下半分ずつと決められていた。「いつからか四男以降も3升やったなぁ」と喜平さんは思い出して下さった。
 烏帽子米の他にも、山税や集落を運営するための“区費”なども昔は米だったが、実際はお金に換算して納めた。米1升をいくらに換算するかの〝相場〟を決め、6月末と12月に納めたのだそうだ。
 喜平さんは、「なんで烏帽子米と呼ぶかは聞いてませんが、烏帽子は昔の成人男子の被り物ということから、男子だけが納めることと関係があるのかなぁ」。男子誕生のときだけでなく、養子を迎えたときにも納めたそうだ。「子どものない家が、古橋の親戚から養子さんを迎えることがあるやろ、その子が次男として生まれていれば生まれたときに6升を納め、養子に行ったら行った先では跡取りやさかいに、長男と同じで1斗2升を納めることになるな」。不幸にして長男が亡くなり、次男が跡取りとなった際も同じく1斗2升を納めたそうだ。
 和子さんは「惣領は特別です」と言われる。惣領・長男・跡取りは家だけでなくその集落も守り継いでいく存在で、本人も自覚し、周囲もそのように育て扱ったということのようだが、喜平さんのそばに居た和子さんだからこそわかることがあったに違いない。
 烏帽子米として納められたお金の使い道も決まっていた。「古橋の氏仏さんはお薬師さんで、烏帽子米はその本堂のかやぶき屋根を葺き替えたとき、祝いとして全戸に白蒸しを1升ずつ配る為に蓄えられました」。現在、本堂の屋根にはトタンが被せられ、烏帽子米の制度は昭和61年に廃止され、白蒸しを配ることも無くなり、制度があったたことを知る人もいなくなった。
 お二人は呼び名も独特なこの制度が無くなってしまったことを残念だと言われる。「現代は、昔の制度をやめてしまうのはたやすく、続けるのは難しい。昔はその逆で、続けることの方がたやすく、やめるのが難しかった。そのようにして続けられたことが伝統やろ」、喜平さんはそう言って話を結んだ。

光流

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