菅原道真のアイコン

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 彦根市 2017年5月9日更新

 最近は携帯電話の発達で道草もなかなか難しくなったが、呼ばれたような気がしてふらりと立ち寄る道草が好きである。暖かくなった風が心地よく、この日は彦根市柳川町の大宮神社に呼ばれた。菅原道真を祀る神社である。
 看板の由緒書きが面白かった。一部だが次のように記してあった。「柳川商人は江戸時代のはじめより、蝦夷地松前藩との交易によって大いに発展しました。そのため商売の繁盛や航路の安全を祈願して、敦賀の荷所や松前在住の人々より、石鳥居や石灯籠が献納されていますし、また、航路の新船が建造された時には、その船を絵額として奉納されています」。以前から気になっていた「柳川商人」だが、調べを始める機会が訪れたのかもしれない。
 ところで、菅原道真を祀る神社には、大抵、梅と牛が何らかの形であり、道真のアイコンにもなっている。
 梅は、道真が政争に敗れ、無実の罪で太宰府に左遷されたとき、「東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」と詠んだ。その梅はあるじを慕って太宰府まで飛んで行ったという飛梅伝説による。牛はというと、道真の生年が承和12年(845)丑年、亡くなったのは延喜3年(903)2月25日の丑の日であること。道真の遺体を載せた車を引く牛が動かなくなった場所を墓所と定めたことなどから、牛を神使としている。
 大宮神社の由緒書きを読み、境内を見渡す。梅は……牛は……見あたらない。境内社の天照皇大神、稲荷大明神に参拝し本殿の周りを歩いた。石鳥居や石灯籠の表面の風化の具合が江戸時代のものであることを物語っていた。
 本殿を見ていると牛の彫り物があり、更に、葺き替えのときに降ろしたのだろう、牛と梅をあしらった鬼瓦があった。梅とセットになっているところが素晴らしい。
 それにしても、道真を祀る神社の牛は、臥した姿であるにもかかわらず、何故、大宮神社の牛は臥しておらず、歩き、振り向いているのか……。
 疑問が解けたとしても、何の役にもたつことはないが、柳川商人に関わる地の天満宮の牛が臥牛ではなかったとしたら、この牛は柳川商人のアイコンになるのだが……。

 

小太郎

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