近江と出雲を巡る妄想

小泉八雲と彦根城

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 彦根市 2017年2月28日更新

 3月4日、清凉寺で開催される「小泉八雲・朗読の夕べ in 彦根」に俳優佐野史郎さん、世界的なギタリスト山本恭司さんがやってくる。3月18日から開催される「国宝・彦根城築城410年祭」のプレイベントである。
 佐野史郎さんはいま、NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」で太原雪斎(たいげんせっさい)を演じている。今川義元の教育係を務め、政治と軍事の両面で手腕を発揮して今川家の全盛期を築き上げた人物である。
 個人的には、映画「偉大なる、しゅららぼん」の日出家の当主・日出淡九郎を演じておられたのが印象深い。原作は、万城目学さんの同名の小説だ。舞台は湖の東にある石走藩(「石走る」は近江の枕詞)の城下町、日出家は石走城に住んでいる。映画のロケは彦根や長浜で行われ、佐野史郎さんは彦根城城主のように映っている。佐野さんは、彦根城築城410年祭プレイベントに、相応しい人物なのかもしれない。
 それにしても何故、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)なのだろう……。佐野史郎さん、山本恭司さんは共に松江市の出身であり、「小泉八雲・朗読の夕べ」の監修 は、小泉八雲の直系の曾孫である小泉凡さんが務めている。
 確かに、松江市と彦根市は共に国宝の天守を有し、湖を臨む城下町である。松平治郷(はるさと)は、松江藩第七代藩主で、不昧(ふまい)の号でで知られる茶人。独自の茶の湯道具の研究に取り組み、『古今名物類聚』を著した。
 「一期一会」は、直弼が千利休の説いた茶の精神を、簡潔な四字で表した言葉であり、著書『茶湯一会集』に記され広く世に知られる言葉となった。「余情残心」「独座観念」など直弼は茶の湯において日本人独特の心の動きを追求した人物で、やはり独自の茶の湯を追究した藩主である。近江と出雲という捉え方をするならば、琵琶湖と宍道湖、多賀大社と出雲大社、共に神々の坐す国でもある。
 では、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)と彦根城は何か関係があるのだろうか…。小泉八雲は、明治23年(1890)4月来日。8月には松江にある島根県尋常中学校に英語教師として赴任した。実は、ラフカディオ・ハーンという外国人を松江に招聘したのは初代島根県知事の籠手田安定(こてだやすさだ)である。 あまり聞き覚えのない名前かもしれないが、籠手田安定は近江の偉人でもある。
 籠手田は滋賀県の二代目県令である(県令とは、明治4年〜明治19年まで置かれた県の長官で、後の県知事)。出身は九州の平戸藩(現在の長崎県)。明治新政府で、官職についたのが滋賀県であった。県内には彼が残した足跡がいくつも残っているが、彦根城は、籠手田県令がいなければ明治時代に取り壊されていたかもしれないのである。
 新政府が取り組んだ事業の一つに「廃城」があった。江戸時代の様相を色濃く残す全国の城を解体し尽くすというものだ。廃城令が出されると彦根城もそのリストに含まれており、天守、櫓、郭、それぞれが競売にかけられ売却されることになった。
 ちょうどこの時、県令を務めていたのが籠手田なのである。籠手田の指示の下で競売を行った結果、天守は八百円で売却が決まり、解体用の足場まで組まれていた。
 しかし、彦根城を後世に遺したいという県民の声を聞いた籠手田は、中央政府に働きかけ、解体を中止するように訴えたのである。
 彦根城が廃城を免れたのは、明治11年(1878)、明治天皇が北陸・近畿地方巡幸のとき、大隈重信が彦根城の荘厳さを天皇に訴えた、或いは、福田寺(米原市)のかね子夫人が彦根城解体中止を呼びかけていたとも伝わっているが、そのどれもが本当のことだろう。
 結果として、競売を行った僅か2ヵ月後、彦根城は永久に保存することが政府から伝えられ、現在に至るのである。彦根城の解体中止を籠手田県令が中央に訴えた成果であることは確かなことなのだ。
 小泉八雲と彦根城、籠手田安定がいなければ、彦根で邂逅することのなかった二つの宝物なのである。

 

小太郎

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