近代化遺産を巡る旅
木村重成公 血染めのススキ

彦根・宗安寺

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 彦根市 2016年11月30日更新

 近代化遺産とは、文化庁によると「幕末から第2次世界大戦期までの間に建設され、我が国の近代化に貢献した産業・交通・土木に係る建造物」であるとしている。近代化にかかわる遺跡、銅像や顕彰碑も含まれ、政治・経済・社会・教育・思想・文化・宗教といったさまざまな領域で推し進められた近代化を今に伝えているものが近代化遺産だ。
 ならば、彦根本町の宗安寺境内にある木村重成公「血染めのススキ」も近代化遺産だと僕は考えている……という話だ。
 宗安寺は井伊家縁の寺で徳川家康公御尊牌奉安所である。「赤門」「黒門」「朝鮮通信使宿泊所」などで知られ、石田地蔵をはじめとする佐和山の記憶を留める記念物も多い。「赤門」は佐和山城の表門を移築したものだと伝わる。江戸時代には彦根藩の集会所の役割を果たし、大坂冬・夏の陣戦死者の追弔会や、明治5年(1872)、廃藩置県後には一時犬上県庁が設置されたこともあった。墓所には重成を供養する五輪の塔と「木村長門守重成公首塚」の石碑(明治の三筆・下部鳴鶴の揮毫)がある。
 木村重成が歴史の舞台で注目を集めるのは、徳川軍が大坂城を攻めた大坂の陣である〈慶長19年(1614)「大坂冬の陣」・慶長20年(1615)「大坂夏の陣」〉。豊臣秀頼とは主従というより乳兄弟の関係にあたる。NKH大河ドラマ『真田丸』でも大坂の陣辺りから登場し、真田幸村と会話するシーンもあり、記憶している人も多いだろう。重成は涼やかな戦国武将である。
 さて、大坂夏の陣5月6日、若江の戦い。重成23歳。木村重成隊は井伊直孝隊と戦うことになる。
 重成は、井伊家の安藤長三郎17歳に討たれた。異なる話も伝わる。庵原助右衛門との一騎討に敗れ、安藤長三郎が首をもらい受けたというものだ。いずれにせよ、安藤家は宗安寺の檀家であり、その菩提を弔うために五輪の塔を建てた。
 ススキの話だ。重成の首はススキにくるんで戦果として彦根に持ち帰られた。そのススキの穂が落ちたのだろう、佐和山城下に根付いたそれは毎年赤く染まり「血染めのススキ」と呼ばれるようになった。
 時代は明治となり、佐和山の麓に鉄道の線路敷設が始まったため、血染めのススキは佐和山神社の境内に移されることとなった。佐和山神社が廃社となると、隣地の井伊神社の横に移されたが、枯死寸前となった。それを重成公の首塚がある宗安寺の境内に移植したところ、数ヶ月で生気が蘇ったという。今もススキは境内の一角で歳月を過ごしている。若江のススキだ。
 佐和山神社は現在、福井県敦賀市栄新町の「天満神社(敦賀市指定文化財)」本殿となっている。天満神社の創建年代は不詳だが、神社の解説板によれば「昭和20年の空襲により全焼したが、戦後、地元氏子によって再建が協議され、昭和35年に佐和山神社の社殿を譲り受け移築し、現在に至っている」とある。日光東照宮を範とする権現造の建築様式で繊細華麗な彫刻が施されており、大洞弁財天の社殿を一回り小さくしたような感じである。
 僕が「血染めのススキ」を近代化遺産だと思うのは、鉄道敷設の経緯の記憶をススキが有しているからである。
 明治維新、日本は近代的な統一国家を目指し、政府は近代化政策の一つである鉄道建設を明治2年(1869)に決定する。真っ先に着手すべき路線は東京ー京都間。そして主要貿易港であった横浜、神戸、そして敦賀への枝線だった。よって、琵琶湖周辺を経由する計画がたてられることになった。

 「血染めのススキ」が枯死寸前となる理由であった鉄道敷設の話だ。
 明治5年(1872)新橋ー横浜の開業以降、明治13年(1880)に京都ー大津間、明治15年(1882)長浜ー柳ヶ瀬間、明治16年(1883)長浜ー関ヶ原間が開通する。長浜ー大津間の鉄道建設はなかなか着手されず取り残されていた。東海道線の全通は米原ー馬場(膳所)間が竣工した明治22年(1889)で、彦根市街地から少し離れた青波村古沢に彦根駅が開業する。
 湖東平野の着工が遅れたのには理由がある。平野部の工事は比較的容易であり、当時の財政下において、より建設が困難な区間を優先させ着工していったのだ。そして、琵琶湖の水上交通を鉄道の代替輸送機関として利用したのである。日本初の鉄道連絡汽船は、明治15年〜明治22年、東海道線開業まで長浜ー大津間で運航された。和船に代わり、汽船が建造され、蒸気船の時代が到来する。琵琶湖初の汽船は、加賀大聖寺藩が明治2年(1869)に「一番丸」を建造。明治3年(1870)には旧彦根藩士が「金亀丸」を建造している。琵琶湖大航海時代(?)の始まりである。
 「血染めのススキ」から近代交通の発展を遠望することができる故、ススキは立派な近代化遺産なのだ。
 戦国時代の記念物を遡る時、語り継がれる物語もあるが、夥しい屍があり血で血を洗う戦いの時代であったことを忘れてはならない。江戸という平和の時代はその上にある。僕はどちらかと言えば近代の方が好きだ。勿論、富国強兵、戦争という歴史は避けて通れないが……。
 そういえば、もうひとつ宗安寺に近代を物語る遺産がある。本堂正面に二基ある美しいフォルムの燈籠だ。
 この燈籠、高名な石造美術研究家の川勝政太郎氏の設計による。次のような説明がしてあった。
「宗安寺本堂前には曾ては金燈籠(青銅製)があったが、第二次世界大戦中の金属回収令により供出された。それを知った檀家の大鳥居正氏は、知人の川勝政太郎先生(史跡美術同好会創立者、文学博士、大手前女子大学教授)に設計を依頼し、京都の柴田石材店の加工により新たに石燈籠を作製して寄進したものである。
 川勝先生は石像美術の研究で博士号を授与され、その逝去に当っては「石像美術の父」と称された。又多くの石燈籠を設計されて近畿の各地に遺品がある。(後略)」
 川勝政太郎、大鳥居正を調べていけば近代を遠望する物語を発見することができるかもしれない。
 また、燈籠という文化が不思議である。日本の伝統的な照明装置(?)なのだろうが、僕は燈籠についてほとんど知識が無い。調べてみるとまた抜け出せなくなりそうだ。人生は長い。ゆっくりいこう。

小太郎

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