オトチの岩窟へ

木之本町古橋

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 長浜市 木之本町 2016年11月10日更新

出発前の記念写真

 慶長5年(1600)の関ヶ原の合戦。敗れた西軍の将・石田三成が、再起を図るため落ち延び身を隠したと伝わるのが、長浜市木之本町古橋の山中にある「オトチの岩窟」だ。数年前から地元の「古橋史跡文化保存会」のメンバーらが岩窟へ続く林道を整備し、「尾根道ルート」と「林道ルート」の2コースでたどることができる。10月15日、石道にある市立高時小学校が全校生徒と保護者、地域の人たちも一緒に「親子地域探訪」としてオトチの岩窟を目指すと聞き、同行させてもらった。同小学校には、郷土を愛し誇る心情の育成を目的にした名物行事・己高山(標高923㍍)登山があり、隔年で実施されている。とても素敵な事だと思うし、今回初めてオトチ岩窟を訪ねる事になったのも、とても意義深いと思う。古橋で生まれ育ったお父さんたちはもちろん、お母さんたちも「初めて」という人がほとんど、好天も手伝ってなにやらワクワクする気分が集合場所に漂った。
 観光施設「己高庵」の裏手にある尾根道ルートの出発点から岩窟を目指した。急勾配を登るような場所は少なく、気軽に山登りを楽しむ感覚で歩ける。「あっ、どんぐり」、「キノコ、キノコ」と元気な子どもたち。途中、「そろそろシシの水浴び場があるぞ」とお父さんの声が聞こえ、しばらくするといかにもイノシシが水浴びしそうな水たまりが現れた。登山開始から約1時間後、「峰の大岩」と呼ばれる場所で小休止。子どもらは大きな岩に登ってまだまだ元気一杯だ。さらに歩くこと約40分、オトチの岩窟に到着した。

 そこは、地元の人たちが「北谷」と呼ぶ山の中腹、標高約560㍍の地点になる。設置された梯子をつたって入り口近くに降りられるようになっていて、岩窟内部にも梯子がある。入り口は狭く、内部の梯子に体を沿わせるように侵入する。内部はもちろん真っ暗で、懐中電灯やヘッドランプの明かりが闇を照らす。広さは25平方㍍ほどあるそうだが、土砂が入り込んでいて広さに対する感覚ははっきりしない。一度にたくさんは入れないので、班ごとに順番に岩窟内部を体験する。人気をさらったのは岩窟内部に棲むコウモリで「触ったら暖かかった」とか「ふわふわしてた」と興奮気味に話す子も。しかし、たくさんの来訪者に驚いたのかコウモリは岩窟の外に飛び去ってしまい、順番を待っていた子どもたちは残念がる。岩窟から出てきた子どもに感想を聞くと、「怖かった」や「じゅくじゅくしていて滑った」などなど。お父さんの一人は「なかなかのものでした」。
 ガイドを務めた守る会のメンバーによると、実際に三成がここに滞在した時間は短いようだ。古橋に残る伝承として、関ヶ原から逃れた三成は、かつて古橋にあった奈良時代創建の法華寺に身を寄せ、さらに追っ手から逃れるため幼なじみの与次郎に案内され岩窟に身を潜めたという。途中、お腹をこわした三成のために与次郎がニラ粥を運んで看病したという伝承もある。三成をかくまったと古橋の人たちがとがめられないように、自ら捕縛されたとも言われている。メンバーは、最後に「三成さんにまつわるお話は様々にあります。400年以上昔のことなので、どれが正しくて、どれが誤りなのかわからないですが、古橋に関係がある言い伝えをお話ししました。お家に帰ったら、お父さんやお母さんに尋ねたり、話し合ったりして下さい」と結んだ。
 古橋は三成の母の里で、三成が秀吉に見いだされたとされる「三献の茶」の話は、法華寺での出来事だとも考えられていて、地元の人たちは地域に残る古文書や文献などを調べている。

オトチの岩窟へのルートは整備されたが、地元では、登山に際しては十分な注意と、山はそこで暮らす人々の宝であり、山の神さまの住まいに入らせて頂くという気持ちを持って欲しいと呼びかけている。問い合わせは、鶏足寺案内所(0749-82-2782、午前9時~午後4時、月曜と1・2月休み)または、保存会会長の山内さん(090-8752-4828)へ。

店舗等の情報は取材時のものですので、お訪ねになる前にご確認ください。

編集部

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