イチゴとイチョウ

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 彦根市 2016年8月17日更新

 彦根城のオオトックリイチゴは、彦根城以外では知られていない固有種だ。彦根城にのぼると鐘の丸売店横に大きな看板が建っている。こんなことが記されている。『自生の「ナワシロイチゴ」と中国・朝鮮半島原産の「トックリイチゴ」が自然交配して生まれた雑種であると考えられています。6月に開花し紅紫色の5枚の小さな花弁をつけます。そして7月になると淡紅色に熟した果実が実ります。
 日本の植物学の父である牧野富太郎が明治27年に発見。その後、イチョウの精子発見者として世界的に知られる平瀬作五郎が牧野の依頼で標本を製作し、共同で学会誌に発表しました。学名には牧野と平瀬の名が記されています。』
 オオトックリイチゴの学名Rubus Hiraseanus Makinoは、日本の植物学の大スターのダブルネーム。もうこれ以上にない彦根の宝物のような植物に思えてくる。
 更に調べてみると、実に面白かった(様々な妄想が浮かんでくる)。
 ナワシロイチゴは日本の山野に自生するごく普通の植物だ。苗代の頃に実が赤く熟す。
 では、中国大陸及び朝鮮半島が原産のトックリイチゴが何故、彦根城で育っていたのか。オオトックリイチゴの発見場所は彦根城博物館の辺りであるという。つまり江戸時代には表御殿だったところだ。トックリイチゴは庭園の植 栽にしばしば用いられる植物である。きっと、何回目の朝鮮通信使か判らないが、観賞にとお殿様に献上したのかもしれない。表御殿跡での発見も納得できるのだ。
 牧野富太郎は、伊吹山の植物採集の途中に彦根城に立ち寄り、表御殿跡で発見したという。この時は茎葉(けいよう)だけだったため、明治34年(1901)と35年(1902)に平瀬作五郎に標本を依頼。平瀬はオオトックリイチゴの果実と花のついた標本を作成し牧野に送った。この標本により牧野は新種と判断し、明治35年に『植物学雑誌』第16巻に発表した。
 牧野富太郎は文久2年(1862)土佐に生まれた。94年の生涯において収集した標本は約40万枚。命名は2500種以上(新種1000、新変種1500)、自らの新種発見も600種余りとされる。日本植物分類学の基礎を築いた人物だ。
 牧野は明治14年(1881)に初めて伊吹山を訪れその後もたびたび植物探査と採取を行っている。伊吹山もまた固有種の宝庫である。牧野はこの山に魅せられたのだろう。明治21年(1888)26歳の時、小澤壽衛(すえ)と結婚している。壽衛は、旧彦根藩士小澤一政の次女である。牧野が彦根城を訪れたのも、そんな縁があったからだろうか。
 さて、平瀬作五郎はというと、安政3年(1856)福井藩士の長男として生まれた。平瀬のイチョウ精子発見は、開国後の日本において、欧米の近代科学を学んだ成果であり、植物学上の世界的な大発見であるといわれている。
 そして何より重要なのが、平瀬は彦根尋常中学校(現在の滋賀県立彦根東高等学校)に明治30年(1897)~明治37年(1904)まで勤務していたのである(『彦根東高百二十年史』)。牧野が平瀬に標本を依頼したのは、明治34年7月と35年6月。牧野が明治27年に茎葉を発見してから、標本づくりを依頼するまで7年。何故7年のタイムラグが生じたのか……興味深い謎である。
 今回、イチゴとイチョウの関係を知るに至り、牧野富太郎と平瀬作五郎に強い興味を覚えた。江戸、明治、大正と生き、牧野に至っては昭和をも生きた。花咲く頃も実のなる頃も過ぎてしまったが、機会があれば、鐘の丸売店横のオオトックリイチゴを誇らしく観察してみてはどうだろう。近代の近江が、遠望する個人の興味によって様々に展開することだろう。
 ところで話はかわるが、彦根東高校受験のジンクスとして「東高校門のギンナンを食べると合格できる」と伝わる。実際、知人の娘さんが受験の時には合格を願い、大量のギンナンを贈った。勿論、彼女はジンクスなど気に掛ける様子もなく合格を果たしたが、今思うと贈ったその量たるや、さぞ迷惑だったに違いない。
 頭にイチョウの葉を載せた白猫「ぎんにゃん」というゆるキャラがいる。彦根東高校の公式キャラクターだ。何故、イチョウで、白猫なのか。僕は、受験ジンクスと彦根藩第二代藩主井伊直孝が東京世田谷の豪徳寺で白猫に招かれたという日本の招き猫発祥説に関わるものだと思っていた……が、違った。確かめてはいないが、多分、平瀬作五郎に由来するのだろう。ちなみに、平瀬は明治29年(1896)「いてふノ精虫に就テ」という論文を発表している。この論文が翌年ドイツ語で紹介され世界の植物学者を驚かせた。そして同年9月、平瀬は帝国大学を退職し、彦根中学校の教諭心得になっている。これもまた、謎である。そして……、今年は「いてふノ精虫に就テ」から120周年である。もっと話題になってもよさそうなものである。文化のレベルを問われているような気がしてならない。

小太郎

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