晴耕雨読
弘世助三郎のこと
雨の季節である。晴耕雨読という四字熟語がある。「晴れた日は田畑に出て耕作し、雨の日は家にいて読書する。或いは、田園に閑居する文人のライフスタイル」をいうらしい。現代人にとっては、何か大切なものを手放さなければ手に入れることのできないもののような気がするが、晴耕雨読は憧れではある。
弘世助三郎(ひろせすけさぶろう)…天保14年(1843)〜大正2年(1913)を生きた実業家で第百三十三国立銀行頭取を務め、後に日本生命保険会社を創立した人物である。6月、この人のことが気になった。
彦根の銀座商店街の中央に滋賀銀行彦根支店がある。その前身は、明治12年(1879)に開業した第百三十三国立銀行で、彦根製糸場や近江鉄道の発展を資金面で支えていた。建物は大正14年(1925)に第百三十三国立銀行の本店として竣工したもので、関東大震災(大正12年9月)直後であり、耐震耐火に配慮されたコンクリート3階建の堅牢な建造物となっている。外観は装飾性を排した近代建築様式でまとめられ、内部の天井や梁などには渦巻きやパルメット(植物文様の呼称)が施された前時代的様式がみられる。
明治の国立銀行は、明治5年(1872)国立銀行条例が公布され、民間資本が法律に基づいて設立し経営した金融機関である。明治12年までに153の国立銀行が開設され、設立順に番号を名乗った。
彦根でも旧彦根藩主井伊直憲(いいなおのり)をはじめ伊關寛治(いせきかんじ)、広野古矩(ひろのひさつね)らの旧彦根藩士と、御用商人弘世助三郎らが発起人となり、同年9月、国立銀行設立を政府に出願した。既に大津では地元の有力商人により国立銀行設立が出願されており、政府の勧奨に従い彦根・大津の合併申請により明治11年(1878)7月、第六十四国立銀行が設立された。
しかし、彦根の国立銀行設立の目的は旧彦根藩士の金禄公債(きんろくこうさい)維持及びその資金を活用して旧藩士による殖産、商工業発達にあったのに対し、大津は商工業者の金融の便をはかることに目的があった。大津は米穀取引の全国的な中心地であり、彦根は地方物資の集散地という経済基盤も異なり、銀行の経営方針、利害は一致することはなかった。
明治9年(1876)、明治政府は領主・公卿・武士らへの家禄支給を廃し、代りに公債を交付することを布告した(太政官布告108号)。これが秩禄処分であり、秩禄とは、華族や士族に与えられた家禄と維新功労者に与えられた賞典禄を合わせた呼称である。この交付された公債が金禄公債である。
金禄公債は、「以後、禄の支給は無い」ということであり、封建支配層としての領主・武士層は消滅し、すべての華族や士族は公債を所有する利子生活者となったわけである。
多くの士族を擁する彦根では金禄公債証書を元手に独自の国立銀行を設立しようという要請が強く、明治12年4月、第六十四国立銀行から分離独立するかたちで、第百三十三国立銀行が開設されることになった。
第百三十三国立銀行は、開業初期の業績の伸びは遅々ながら堅実な道を歩み、彦根の近代化のために積極的に融資を行い、近代産業を支える中核銀行として役割を果たしていった。
また、明治18年(1885)1月から以後10年余りにわたり頭取を務めた弘世助三郎は、日本生命保険会社の創業(明治22年)者でもあり、「第百三十三国立銀行は、地元の殖産興業育成だけでなく、弘世らが関係する大阪等での諸事業とも連携を強めていった」(『新修彦根市史 第三巻 通史編 近代』)のである。
実は、問題はここからである。官幣社列格百年、多賀講創設五百年を記念して出版された『多賀信仰』(昭和61年)という書籍がある。この六章「お多賀さんと私」に、日本生命保険相互会社の会長弘世現(ひろせげん)が文章を寄せている。
「日本生命の社史によりますと、古来延命長寿の神として霊験あらたかな多賀神社には、昔から「多賀教会」と称して数万の会員を有する讃仰会があったようです、明治の初め、当社の創業者弘世助三郎はこの相互組織に着眼し、多賀教会を主体とした「多賀寿生命」の創立を計画したのがそもそものきっかけであります。
その後何らかの事情で、「多賀寿生命」そのものは実現しなかったようでありますが、程無くこの思想をもとに、日本国民全体を対象とする生命保険会社の設立にこぎ着けました。これが今日の日本生命でございます。」
僕には、なんとも驚く話であった。明治という時代、人々はこの国とこの国の人々のことを考え、皆、生きていたようである。
弘世助三郎が着眼した相互組織とはどんなものだったのだろう。晴耕雨読に徹することはできないが、雨の季節に、多くのことを学びたい。
参考文献
- 『しがぎん70年の歩み〜共存共栄』編集 滋賀銀行70年史編纂委員会事務局(平成16年)
- 『新修彦根市史 第三巻 通史編 近代』編集 彦根市史編集委員会(平成21年)
【編集部】