ステンショ道・幻の春照駅

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 米原市 2009年5月24日更新

「米原 汽車 汽船道」の道標

 きっかけは中山道番場宿にある「米原 汽車 汽船道」の道標の謎だった。十字路の片隅に建っている。不思議なのは汽船。知る限り米原から琵琶湖を渡る船の便は無かったはずである……。
 ふと思い出した。かつて、国鉄の線路は現在のルートとは違い、関ヶ原から伊吹山麓を通って長浜駅まで伸び、そこから汽船で大津まで、湖上を渡っていた時期があった。たしか、日本に鉄道が敷かれ始めた明治時代のことで、すぐに現在の路線へと取って代わったはずである。この道標はその当時の名残りなのだろうか……。
 昔の線路は、今は国道365号線になり、風景も随分変わってしまっている。体験談を語れる人もいない。それでも、この道標のように、往時を知る手がかりが他にもあるのではないか……。
 調べてみると、明治16年(1883)に開通した関ヶ原〜長浜間の路線に、唯一、春照駅(すいじょうえき)が存在していたらしい。伊吹山麓の春照を訪ねてみることにした。
 春照は北国脇往還の宿場町として、古くから交通の要所として発展し、5年に1度、伝統の太鼓踊りが奉納されることでも知られている。太鼓踊りの次回開催は、今年9月である。

春照のステンショ道

 春照駅について、何か名残りを見つけられないかと、町内にある伊吹山文化資料館の友の会の方を訪ねた。
 「今でも、春照にはお年寄りがステンショと呼ぶ場所があります。そこから伊吹山に向かって伸びる道をステンショ道といって、曲がり道の多い伊吹山麓で、ここだけ本当にまーっすぐなんですよ」。
 ステンショとは停車場。つまり、ステーションのことである。春照駅が建設された当初、曲がり道では不便だと、春照村の人が県に陳情し、新たな道をつけたのだそうだ。今では、駅の名残りこそ何もないけれど、かつての呼び名そのままに、ステンショ、ステンショというわけだ。
 昔は、関ヶ原へ抜ける勾配が急で、春照駅から乗客と地元住民で協力して汽車を押して坂道を登ったらしいという昔話も聞くことが出来た。
 春照駅は米原経由に東海道線をつけかえるため、6年間で廃止となり、今では幻の駅と呼ぶ人もいるらしい。おそらく、番場宿の石碑も春照駅とともに使命を終えたのだろう。
 ステンショ道を歩いてみた。看板が出ているわけではない。商工会伊吹支所のある交差点から、国道方向へ伸びる普通の道。ただ、本当に真っ直ぐである。特に国道から初夏の伊吹山を正面に見た姿は絶景だった。おそらく、駅を利用していた人たちも同じ伊吹山を見ていたのだろう。
 春照のステンショ道は、知っている人にだけ、一瞬で文明開化の頃と同期を可能にするチャンネルなのである。

木屋凧

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