到達困難地蔵1「左手地蔵」

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 長浜市 2015年7月29日更新

「左手地蔵」。背後の斜面を降りてここに至る。

 昨年、長浜市西黒田地区の金太郎伝説について調べたことがあった。息長氏や製鉄との関連が面白く、妖怪一つ目小僧へと繋がる空想に独りでわくわくした夜を過ごしたのを覚えている。その時に気になった地蔵様があった。
『金太郎の里マップ』(西黒田ふるさと振興会議・きんたろう会発行・平成17年)に記された「左手地蔵」である。西黒田地区名越町の「小幡山の南側に祀られている地蔵さんで、左利きが右利きに直るという言い伝えがある。箸二膳を供え一膳を持ち帰り右手で食事をすると右利きになる」という御利益がある。
 場所に見当をつけて何度か探したが、「左手地蔵」を見つけることはできなかった。「365ゴルフクラブながはま」の辺りなのは判っているものの「左手地蔵」らしき祠は、僕にとって到達困難地蔵だったのである。
 7月21日、自力で探すのを諦め西黒田公民館で「左手地蔵」について尋ねることにした。名越町の引山則尚さんが案内してくださることになった(公民館の皆さん、名越町の皆さん、そして引山さん、ありがとうございました)。果たしてそれは「365ゴルフクラブながはま」の入口にかかる橋から上流へ100メートルほどのところにあった。
 「左手地蔵」へのルートは失われていた。かつての山仕事に向かう川沿いの道はゴルフクラブのフェンスができ、夏草に覆われていた。引山さんに案内していただき、一旦、山側の道を進み斜面を降りアプローチすることになった。
 大袈裟な言い方かもしれないが、「左手地蔵」は、山と暮らしが今よりも親密な関係にあった頃、名越の人々が、この地蔵に箸を二膳供え、一膳を持ち帰るような、人生の一部の記憶を担っていたに違いない。引山さんも世話になったという。道具は大抵右利き用にできているから、山の仕事には左利きは不便だったのかもしれない。
 地蔵は、何らかの理由がありその場所に祀られているものだ。だからよほどの事情がない限り動かすことをしてはいけない。「左手地蔵」への道は、人々の暮らしの変化により失われ、僕にとってだけでなく本当に「到達困難地蔵」になっていた。その地蔵は今もそこにあり、訪れようとする者にとってだけ、大切な価値を持つものへと変わっていく。参る意志があれば、そして強く望めば辿り着くことができる。きっと御利益も健在だろう。
 「到達困難地蔵」は、湖東・湖北に多く存在し、その数は増えているのではないか? 「到達困難地蔵」、僕にとって実に魅力的な地蔵になった。

編集部

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