映画『バンクーバーの朝日』と彦根・湖東
1915年 初代朝日チーム。後列左から2人目、宮崎松二郎・中央列左から3人目、北川初次郎・前列左から3人目、北川(堀居)由太郎(彦根市教育委員会 歴史民俗資料室 小林 隆氏所蔵『Asahi : A LEGEND IN BASEBALL』より)
彦根のビバシティシネマで上映中の映画『バンクーバーの朝日』のことを知ったのは、昨年の夏を過ぎた頃だった。1900年代初頭にカナダへ移民した人たちが築いた日本人街に誕生した野球チームの物語だという。チームの名は「バンクーバー朝日」。1914年から1941年まで実在した日系カナダ移民の二世を中心とした野球チームだ。2003年、カナダ移民社会、野球文化への功績が認められ、カナダ野球殿堂入りを果たしている。
僕がこの映画に興味を持ったのは、湖東・湖北で遊び継がれている「カロム」というボードゲームのルーツを調べているからだった。日本伝来にはいくつかのルートがあり、「彦根カロム」は彦根からカナダに移民した人たちが持ち帰ったものだと考えている。カナダ移民社会!?『バンクーバーの朝日』にカロムが映っているかもしれない!
実際にはほぼ全編が日本で撮影され、カロムは映っていないが、映画のパンフレットに記されたカナダ移民の歴史に驚いた。『バンクーバー朝日軍よ、永遠に!』。河原典史氏(立命館大学文学部地理学教室教授)の文章である。抜粋してみる。
『「江州ソーミル、熊本ヤマ、死ぬよりましかなヘレン獲り」。この俗言は、第二次世界大戦前のカナダにおける日本人の就業構造を的確に表している。つまり、滋賀県(近江)出身者は製材所(Sawmill)に勤めることが多く、そこへ運搬される木材を提供するために山奥で伐木業、ならびに鉱業に従事するのは熊本県出身者が多かった。慣れない機械操作や倒木によって命を落とすかもしれないなら、ニシン漁(Herringfishing)やサケ漁などの漁業に就く方がよい、と揶揄したのは和歌山県出身者たちであった』。
当時のカナダ移民の数は滋賀県が飛び抜けて多い。『犬上郡を中心とした滋賀県出身者がカナダ在留の邦人数で第一位を占めていく』(新修彦根市史第三巻)。
『バンクーバー朝日軍』(テッド・Y・フルモト著)には次のような記述もあった。
『カナダ移民は、代表的な移民県である和歌山県、広島県、福岡県、熊本県のほかに山口県など全国各地からやってきた。ただ、バンクーバーでは、日系移民の半数以上を、滋賀県出身者が占めたのが、ほかの移民先とはちがっていた』『滋賀県出身者はパウエル街などで、商業や事業を手がける割合が高かった。滋賀県といえば、行商で有名な近江商人の本拠地である。その伝統が、カナダのバンクーバーでも生きていたのだろう』。
「朝日」というチームは、1914年バンクーバー市パウエル街のパウエル球場(現在のオッペンハイマー公園)で誕生したチームだ。「朝日」の設立時の住所は、パウエル街213。松宮外次郎氏が経営する松宮商店内にあった。外次郎氏は「朝日」設立時の会長を務めた人物であり、彦根の開出今の出身。1911年にバンクーバー市商業組合会頭に任ぜられている。
僕は幸運にも、外次郎氏の孫の松宮哲さん(68)にお会いすることができた。哲さんは開出今町にある(株)マツミヤケミカルの取締役工場長だ。
「映画の公開を知り、父の増雄が記した『開出今物語』に朝日のことが書いてあったのを思い出しました。以来、朝日について調べ始めました」。僕は、哲さんが集められた貴重な資料や取材された手記をみせてもらった。「朝日」の設立時の住所のことも、実は哲さんに教えていただいたのだ。
「バンクーバー朝日の住所が松宮商店であることが判り驚きました。祖父が1895年にカナダに渡り38歳の時に開いた食料品店です。朝日の初代監督宮崎松二郎氏も開出今の出身で、パウエル街で衣料品店を経営していました。2人が朝日の設立に夢を描いたことは容易に想像することができます」。
そして、朝日の設立時(1914年)のメンバーは9名のうち、北川初次郎(ミッキー・キタガワ)/北川(堀居)由太郎(ヨー・ホリ)/松宮惣太郞(ソータロー・マツミヤ)/西崎輿惣松の4人が開出今町の出身であり、1917年にチームに参加した北川英三郎(エディ・キタガワ)も開出今町の出身である。
開出今出身の北川3兄弟は人気者でエディは後に朝日の監督も務めることになる。
『北川初次郎・堀居由太郎・北川英三郎・松宮惣太郎・辻栄達らの開出今出身者が選手として活躍し、在留邦人間でも英雄視されていた。特に北川三兄弟は長兄初次郎氏が投手で特異な山なりカーブで観衆を沸かせ、次兄・堀居由太郎氏が捕手で強肩をうたわれ、三男・英三郎氏は中堅手としてその俊足と華麗な守備が買われるなど、朝日教団の大黒柱としてファンからヤンヤの喝采を博したものである』(『開出今物語』)。辻栄達という選手は哲さんの調べで甘呂町の出身であることが判明した。カナダ移民の歴史を調べれば調べるほど、映画『バンクーバーの朝日』が開出今、彦根、湖東、そして滋賀県の物語として重なっていく。映画『バンクーバーの朝日』を観ておかなければならないような気がする。
「朝日」について調べている哲さんは、「現在、バンクーバー朝日の初代監督は宮崎松二郎氏となっていますが、実は宮崎伊八という人物ではないかということが判ってきました。伊八氏も開出今出身で朝日の提唱者のひとりです。娘の宮崎八重子さんの記憶によると、伊八氏は伯父の松二郎氏の呼び寄せでカナダに渡航し運送業を営んでいました。伊八と呼ばれるのが嫌で、伯父の名前の松二郎と呼ばせたりしていたというのです。朝日の監督のあだ名が馬車松だったことも頷けます」。運送業の松さんと衣料品店の松さんを区別した呼び名だったのだろうか……。哲さんは、「もっともっと調べていけば新しい発見があるはずです。資料を集め、朝日に関係する人々の話を聞き、関連付け、まとめていきたいと考えています」という。
僕は、密かにバンクーバー朝日のメンバー達がカロムに興じていたという発見を期待している。そして、カロムに関して調べる新しい糸口を朝日に得たということでもある。実体験を語ることのできる人々が少なくなるなか、焦っている。
*文中のお名前の漢字表記は松宮哲さんの資料に従いました。
【小太郎】