笑う・笑えば・笑う時は、今!

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 2009年3月8日更新

千代神社

 「山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」
 夏目漱石は有名な長編小説『草枕』の冒頭でそう語った。僕は、一時でもそれを笑いで吹き飛ばせる世の中がいい。
 知人にすすめられて、漫談家・綾小路きみまろさんのDVDを見る機会があった。言わずと知れた「中高年のアイドル」で、現在、もっともライブチケットの入手が難しいお笑いタレントである。テレビで何度かネタの一部を見たことはあったが、1時間以上のステージというのは初めてだった。知人曰く「テレビとは一味違う。見ればわかる」とのことだった。
 漫談は、比較的新しい芸能である。大正時代、音声付映画(トーキー)が導入されはじめた頃、それまで主流だった無声映画の活弁士が、巧みな話術を寄席の高座に持ち込んだのが始まりと言われる、日本独自の文化だ。元は、独特のリズムで映画のストーリーを語る仕事だから、話し手による日常風景や人物への表現力が問われる。どれだけ、会場を自分の世界に引き込めるかが勝負である。そして、綾小路さんのライブは、その最たる形だと思う。
 舞台上には、小さなテーブルに一輪挿しと水差し。その他には小道具も何もない。スポットライトを浴びた綾小路さんだけである。唐突に始まって、舞台上を右へ左へ。息をつく間もないネタのオンパレードだった。客席全体が綾小路さんの世界に引き込まれていた。
 僕は、何故だろう、ふと、彦根市内にある千代神社の主祭神である天宇受売命(アメノウズメノミコト)を思い出した。千代神社は日本でも珍しい芸能の神様として広く信仰されている。
 天宇受売命は、記紀神話に登場する神様だ。太陽の化身である天照大神(アマテラスオオミカミ)が天の岩戸に引きこもり、世界から日の光が絶えたことがあった。そのとき、岩戸の前で舞って天照大神の興味を引いたとされる。天宇受売命の舞を見た八百万の神々は、時を忘れて大いに笑い、楽しみ、その姿に引き込まれていったという。
 天宇受売命の舞と綾小路さんの漫談は、芸風こそ違え、同じ効果があるような気がする。そういえば、夏目漱石の『草枕』だって、「(世が住みにくければ)束の間でも住みよくせねばならぬ」という一節につながっている。
 何のことはない。神代の頃も、100年前も、今も、根本の部分は代わり映えしない世の中なのだ。だったら、笑えた者の勝ちである。その方が、爛漫の春により近いに決まっている。

F・B

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