霊苑考

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 長浜市 2014年12月25日更新

 加田山延命院興善寺は長浜市加田町のほぼ中央部に位置し、遊行上人一遍を開祖とする時宗の寺院である。正応3年(1290)に創立した古刹で、今も残る一丁歩余りの境内はその昔二重の堀に囲まれ、周囲には加田七殿の居館が連なっていたと伝えられている。境内の中から出土し集められた五輪塔や墓石は、今浜城主上坂治部丞家信公の墳墓をはじめとする加田一族のものだという。
 寺及び境内は当寺唯一の檀家加田氏によって護持されていた。今も広大な面積は維持されてはいるが、近代になってその広さ故に管理が大きな課題となってきたのも事実である。公的な施設や農協の施設となった時代もあったという。しかし社会情勢の変化により各施設が退去するに至って、興善寺は寺の護持と境内地の管理がほとんど不可能な状態に陥った。しかも古刹である。開基の頃より代々伝えられてきた仏像、絵画、伽藍は現在既に修理、修復の時期をはるかに経過している。なかでも兆伝司作と伝えられる涅槃図、〔縦横2m〕十界図〔地獄極楽図〕、鎌倉時代の作と伝えられる本尊阿弥陀如来坐像、湖北町蓮台寺の本尊阿弥陀如来立像〔県指定文化財〕、秘仏延命地蔵菩薩、及び地蔵堂、等々は早急の修理、修復が望まれている。
 このような厳しい状況の中、寺を今後も安定的に維持するためには、興善寺の境内地を利用してゆく以外にその方法はない。このままでは、いずれこの寺は行き詰まりを迎えると判断した岩田郁然住職は、この境内地を利用し寺院にふさわしい事業を模索し、他にはないユニバーサル型の霊苑事業を具体化する決心をした。平成24年のことだった。そして、専門家、企業家諸氏の援助、アドバイスを得ながら「興善寺霊苑 花といのさと」を平成26年10月11日に開苑するに至った。市、県への許可申請、周辺住民への説明会等、これまで幾多の紆余曲折を経た一大事業である。住職に一層の重責が課せられたことはいうまでもない。
 霊苑の名である「花といのさと」の「花とい」は、一遍上人の言葉である。岩田住職は、「花が咲きやがて散るように、人が生まれそして誰もが終わりを迎える。 これは全て自然の中の営みです。またこのことは決して人の力の支配が及ぶものではありません。時宗の開祖、一遍上人は「花のことは花に問え」という言葉で、 大自然の流れを例えに人々に仏の教えを説いたのです」という。
 縁あって友人と二人でこの霊苑を訪れたのだが、彼はしきりに「これからはこういう墓地が必要なのだ」と感心していた……。理由はこうだ。「町中にあり、明るくてフラットなのがいい。駐車場から車椅子で墓参りができる。何時でも参ることができる」というのだ。
 今、各地方都市は、様々な理由のなか、コンパクトシティを標榜し、人口減少下における都市再生を図ろうとしている。高度成長期に郊外へ拡大した都市機能を抑制し、市街地のスケールを小さく保ち、生活に必要な機能が近くにある、効率的で持続可能な都市を目指そうとしている。
 確かに友人が感心するように辺鄙な山にある墓地よりは、帰宅途中にでも参ることができるユニバーサルな霊苑はコンパクトシティには欠かせないものとなるに違いない。興善寺は寺と境内地の維持管理からユニバーサル型の霊苑事業に着手することになったが、コンパクトシティという都市政策の側面からも、このような霊苑は増えていくことだろう。
 ただ、僕は仕事がら墓地に赴くことが多い。DADAを読んでくださっている読者の方々なら解るだろう。墓を撮った写真が掲載されることがある。願わくば、コンパクトシティになったとしても、意味ある場所に眠る人々の墓はそのままにしておいて欲しいものである。

興善寺霊苑

滋賀県長浜市加田町2275
TEL: 0749-63-1905

店舗等の情報は取材時のものですので、お訪ねになる前にご確認ください。

風伯

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