「そういえば」という記憶

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 長浜市 2014年11月12日更新

 「そういえば」という記憶が街にはたくさん張り付いている。長浜の大手門通り商店街を歩いていた時、かどやさんの時計があった。パン職人とバスケットに焼きたてのパンを入れて抱える少女のフィギュアは西洋の風貌である。そういえばここはパン屋さんだったな…。あとはズルズルと記憶がもどってくる。実は、街と時計の話がしたい。
 街のなかには時計がたくさんあったような気がする。商店の軒先から中をのぞくと古びた時計があって時刻を知ることができた。通学路の時計、駅までの時計を僕らは子ども頃から頼りにしていた。今は携帯電話を見れば正確な時刻が判るから腕時計もしなくなった。僕の机の引き出しには電池を入れさえすれば動く時計が箱に入っていくつかある。腕時計をしないからシャツの左手首も擦り切れることはなく、日焼けの跡ももう今はない。
 街には時計があった。それらは商店街を利用する人々のために外に向けられて取り付けられていたのだと思う…。 「そういえば」という記憶が街にはたくさん張り付いている。ベンチがここには確かにあったとか、一度しか座らなかったのに覚えていたりする。
 まち歩きマップが、訪れる人々のためにさかんに作られている。あるいは再発見マップというのだろうか、今まで気が付かなかったモノやコトが記されている。どんどん更新されていつか街は平準化されてみんな同じ記憶で埋め尽くされる。 「そういえば」が失われる時代が訪れるのかもしれない。

 

小太郎

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