近江高天原の証明!?

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 多賀町 2014年5月5日更新

近江高天原と書かれた沿線地図『近江鉄道沿線名勝之栞』(近江鉄道株式会社 1928年)(個人所蔵)

 「古事記は近江の國を中心とした出来事の記録だ」と記したのは彦根高等商業学校(現・滋賀大学経済学部)の橋木犀之助教授である。古事記(こじき、ふることふみ)は、和銅5年(712)、天武天皇の命で稗田阿礼の「誦習」を太朝臣安萬侶が書き記し編纂したもの。確認できる日本最古の歴史書である。
 『古事記』で最も親しまれてきた話は「稻羽之素菟(イナバノシロウサギ)』だろう。
 「淤岐島(おきのしま)」から「稻羽」の「気多(けた)の前」に渡ろうとして、「和邇」を並べてその背を渡ったが、「和邇」に毛皮を剥ぎ取られて泣いていたところを「大国主命」に助けられるという話である。神話の舞台は島根県の出雲ということになっている。

彦根・千代神社の紋

 日本の文様に、波間を奔る兎の文様がある。よく知られた文様だが、そのデザインから誰もが大国主命を思い浮かべるだろう。しかしその文様の名は、出雲文様でも大国主文様でもない。『竹生島文様』という。謡曲『竹生島』に由来すると考えられている。僕は、竹生島紋様のコレクターだから高天原は近江だと考えることにしている。
 彦根市上稲葉町の「稲葉神社」にある2基の灯籠には「波と兎」の文様が彫ってある。
 「稻羽」は「稲葉」(古くは因幡庄)、「淤岐島」は琵琶湖の「沖島」。 そして湖の対岸には「和邇(わに)」 という地名。更に下稲葉北の彦富町を流れる愛知川尻に「気多木戸」「気多原」というところがある(橋木犀之助著『日本神話と近江』1949年)。『稻羽之素菟(イナバノシロウサギ)』の話は近江(淡海)の話ではないのか。
 多賀大社は、伊邪那岐命(イザナギ)・伊邪那美命(イザナミ)の2柱を祀り、彦根の千代神社は全国唯一、天宇受売命(アメノウズメノミコト)を主祭神とする神社である。天宇受売命は天照大御神(アマテラスオオミカミ)が天の岩戸に隠れ、世界が闇につつまれた時、岩戸の前で舞をまった神だ。

ヒカゲノカズラ(写真:中川信子さん提供)

 4月5日、『古事記に登場する植物は身近な植物』と題して中川信子さん(多賀植物観察の会)の講演が多賀「里の駅」一圓屋敷であった。
 「古事記」にはたくさんの植物が登場し、多賀の野鳥の森の植物観察会で、ヒカゲノカズラやガガイモなど観察できるものもたくさんある。中川さんは、『古事記のフローラ』(松本孝芳著)を参考に地元の植物を調べて驚いたという。古事記に登場する75種類の植物のうち、この辺りで確認できないのは「ヤマユリ」、たった1種類だけだった。そのヤマユリもかつて自生していたと記憶している人もいる。
 植物の視点からは、近江が高天原であったとしても、少しもおかしくはないのである。

中川信子さんとニワトコ(多賀「里の駅」一圓屋敷にて)。ニワトコは「山たづ」とよばれていた。

 中川さんはこの日12種の植物を紹介された。興味深かったのは彦根の千代神社の話だった。千代神社の紋は、「千」の文字と植物が描かれているのだが、この植物が「ヒカゲノカズラ」で、天宇受売命が身に付けて舞った植物なのである。
 僕は、今、未知が既知となって、理解できなかったことが解っていく、そんな喜びを感じている。高天原は本当に近江なのだろうか。喜んでいればそのうち解るようになっているのだろう。

多賀「里の駅」一圓屋敷(登録有形文化財・多賀町一円149番地)は、江戸時代の庄屋の屋敷で安政4年(1857)に建てられたとされている。NPO法人彦根景観フォーラムと、地元住民らで組織する多賀クラブが町おこしの拠点として活用している。毎月第1土曜には「野菜市&集い」、中川信子さんの「植物観察会」を開催。予約制農家レストランの季節料理は「地産地消給食等メニューコンテスト/外食・弁当部門」で最高賞を受賞。

お問い合わせ

多賀クラブ TEL: 090-8791-4470

店舗等の情報は取材時のものですので、お訪ねになる前にご確認ください。

小太郎

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