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淡海の妖怪

ショウケラ 2

このエントリーをはてなブックマークに追加 地域: 彦根市 2017年11月27日更新

 前回、ショウケラという妖怪が彦根の宗安寺にもいたという話をした。
 『日本妖怪大事典』(編著:村上健司)には、「石燕による解説はないがショウケラは庚申信仰に関係したものといわれる。(中略)石燕の描いたショウケラは、この庚申の日に現れる鬼、ということがいえるようである」と記されている。その他、ショウケラを「三尸虫(さんしちゅう)のことである」としているものや、三尸虫の中でも「中尸」であるとする説などショウケラの正体は、他の妖怪同様に様々である。
 庚申の夜、人が眠っている間に、体内に住む三尸虫が天に上ってその人の罪過を報告、天帝はその報告によってその人の寿命を縮めるという説があり、これを防ぐため庚申の夜は三尸虫が出ないよう一晩夜明かしをする。これが「庚申待ち」「庚申講」と呼ばれるものだが、宗安寺で、それが行われていたという証拠を探していた。
 別件で、日下部鳴鶴について調べていたのだが、念い続けていけば繫がるものである。鳴鶴が揮毫した書が庚申待ちと結びついた。
 日下部鳴鶴は、明治の三筆と呼ばれる「日本近代書道の父」と評される人物だ。
 宗安寺には「淡泊明志」の行書大扁額がある。彦根庚申倶楽部の人達の依頼を受けて、鳴鶴が亡くなる前年の大正10年、84歳で揮毫したものであることが落款からうかがえる。淡泊は心がさっぱりしていること、明志は正しい志をはっきりともつ意(『日下部鳴鶴』

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