淡海宇宙誌 XXVI 空のまんなかのほとり
はるか昔、その「オーストロネシア」の人々が、ながい旅のすえ、この地にたどり着いたのは、どんな季節の、時間はいつごろだったのでしょう。
川をさかのぼり、峠を越え、深い森を抜けて、彼らが、この湖のほとりにはじめて立ったのは、五千年あまり前の、きっと、夏のある日だったのではないか、と思います。
それも前日か、それとも二、三日前に雨が上がったばかりの、空気は洗い立ての。
風は微風か、まったくないか。それで湖面は、とてもしずかに、しずかに凪いでいたのでなかったか。
「アワン」。
そんな言葉が、この湖のほとりにはじめてたたずんだ彼らのうちの誰かの口から、思わずこぼれ出たのだとしたら。
「アワン」とは南方の海民オーストロネシア語族のことばで、その意味は「空のまんなか」。
「スカイ」でもなく「ソラ」でもなくて、いかにも確かに南方系にはにかむような、ほどけるような「アワン」という語が、この国の名の由来だという新説は、ちょうど今ごろ、ほとりに立てば腑に落ちる。
やがて彼らが、この列島で(おそらくは、この列島のまんなかあたり、ことによってはこの湖のまさにほとりで)北方の民「ツングース」との出会いを果たし、ふたつの民のことばがまざって日本語が誕生したというのです。
「アワン、アハウミ、アフミ、シガ…」。呪文を口ずさみながら、太古のある日の空のまんなか、アワンのほとりを夢想する。
夏の日の凪の水面は鏡のように静まりかえり、空を映して刻々と色を変えてゆく。
湖のその美しい様を見て、この国に「アワン」と名づけたはるかな先祖のあの日の気持ちは今でも僕らにつながっている。
参考:国立民族学博物館 名誉教授 崎山理氏の学説による。