ソラミミ堂

淡海宇宙誌 XXIII 未来人の仮説

このエントリーをはてなブックマークに追加 2012年5月11日更新

イラスト: 上田三佳

 土の降り積もった地層から掘り出された太古の暮らしは、現代の考古学によって随分よく見えるようになってはいるものの、はるか昔のお話には、どこか神話のにおいがします。
 ということは、はるか先—その頃はもう土の中ではなくて、大容量記憶装置の中に積もった0と1との「知層」から発掘されることになっているかもしれないけれど—例えばイーハトーヴの心象スケッチが「二千年後の人々は、  二千年前には青ぞらいっぱいの無色の孔雀が居たんだ  と思うかもしれない」と予期するように、今のこの僕らの暮らしも、遠い未来の人間たちには半分くらい神話のようになるのでしょうか。
 母なる湖、琵琶湖は今や一千四百万の人々の命の源です。琵琶湖・淀川のほとりに住み、同じ水を飲んで生きているこの一千四百万人はだからみな琵琶湖・淀川の種族です。
 「水族」と言えばふつう水の中に生きる者たちのことを指しますが、同じ水を飲む者たちもまたもう一つの「水族」であると呼べるとしたら、僕たちは「琵琶湖・淀川水族」です。
 ところが僕ら一千四百万の「琵琶湖・淀川水族」の多くはもう一つ、別の種族にも属している。
 「敦賀・若狭電族」という種族です。同じ電気で生きる者。
 琵琶湖・淀川の水が流れ、広がる「流域」がある。その「流域」に被さって、敦賀・若狭から流れ広がる「電流域」がある。
 「二千年も前には、水と電気と、二つの神様に従い、神様同士の葛藤を見守りながら、祀り上げたり、鎮めたりして生きた種族が、この一帯に居たらしい」。
 何かの拍子に淡海の宇宙誌を発掘した未来人は、そんな仮説を発表するかもしれません。

 

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