ソラミミ堂

淡海宇宙誌 XXII だんだん祈りになっていた

このエントリーをはてなブックマークに追加 2012年4月6日更新

イラスト 上田三佳

 3月11日、彦根では、幾千ものろうそくを灯して東北を想う催し、「キャンドルナイト」がありました。
 ひと月も暦が戻ってしまったかのような、風雨と寒さでしたが、あれはおそらく天与のしつらえだったのでしょう。
 あの日に限ってその営みは、ただぬくぬくと幻想的で美しくのみあってはならなかったのです。とりわけ、僕のように想像力の射程の短い者にとっては。
 家族と見物のつもりで訪れたのでしたが、現場で着火器を貸し与えて下さる方があったお陰で、僕もわずかながら広場のろうそくの点火を手伝い、ともし火を捧げることが出来ました。
 「ハッピーバースデーみたい」と娘が言いました。そうあってほしい、と僕も思いました。
 けれど、にわかに降った雨にさらされて濡れてしまったろうそくはなかなか燃えず、やっと点いたと思うそばから風に吹き消されてしまう。縦横に並べられたろうそくに点火しながら少しずつ進んで来たが、振り返ると、灯したはずの一列ぜんぶが消えている。
 灯してはかき消され、点いては立ち消え…。東北を想うとはこれか、と思い知らされました。
 それでもみんな諦めないで、思わず「負けるな」「踏ん張れ」と、一つひとつに小さく声をかけながら、火を灯していく。
 吹き消されても立ち消えても、火を灯す行為が、そのまま祈りなのでした。
 風が吹いても、雨が降っても、いくつ灯った、いくつ消えたと数えることもいつか忘れて、みんなだんだん、澄んだ祈りになっていた。「風景やみんなといっしょに、せはしくせはしく明滅しながら、いかにもたしかにともりつづける」ひとつの祈りのともし火になっていました。


引用: 宮澤賢治「春と修羅」序

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