淡海宇宙誌 XVIII 土を掘り当てる
「ここ掘れワンワン!」
花咲か爺さんの昔から、金銀財宝と言えば土を掘ったらざっくざっく出てくるものと決まっています。
けれど、沖野ヶ原では土そのものがかけがえのない宝ものなのでありました。
そこは戦後の開墾地。戦争中は軍の飛行場で、それ以前、もともとは茫漠とした河原であった土地なのです。
一面に転がる岩石をガツンガツンとツルハシ振るって掘り起し、拾って担いで取り除き、拾って担いで取り除きして、やっと小さな土の地面が見えてくる。
気が付けば、拾って捨てた岩石で、背丈を超える石垣が道沿いにずーっと端まで出来ている。
岩石をはがせば土が出るといっても、もともとが河原なだけに、厚く積もったところもあれば、砂礫まじりの薄皮程度のところもあって一様でない。
沖野ヶ原の開墾地では、より厚い土の地面を「掘り当てる」ことこそまさに喜びでした。
土こそ宝。
たとえその土、畑から初めて収穫できたのが「ジャガ豆」としか呼べないくらい小粒なイモであったとしても。
種をまき、作物を育てることのできる土がなければ、わらしべ長者の、元手のわらの一本でさえ、手に入れることができません。
金銀よりも、土こそ宝。
同じ道理で水こそ宝、空気が宝なのですが、その常識をときどき忘れて僕たちは、ここ掘れここ掘れと、滑稽な宝さがしをしてしまうなあ。
滑稽なだけならいいが、ひょっとして、僕らはじつは、花咲か爺の隣の家の、欲張り爺かもしれません。
土の中から無理やりゴミを掘り出して、汚れた灰をバラまいちまってやしないかなあ。