淡海宇宙誌 XVII 母呼ぶまなこ
週末に、家族で登った伊吹山のてっぺんで、思わず苦笑してしまいました。
ああ、またしても叫んでいるな「おかあさーん!」って。
少し前に、琵琶湖の「風景図鑑」をつくるお手伝いしたことがありました。
人々から寄せられたたくさんの写真をつかって、琵琶湖の、水辺の、風景の図鑑を編む。
直感をたよりに、たくさんの写真に写された琵琶湖の表情を選り分け、並べ、名付けていきました。
自家製の分類学に従ってつくった目次は結局、こんな具合になりました。
それは「うむ」。
それは「はぐくむ」。
それは「むかえ」、それは「おくる」。
それは「いやす」。
それは「なだめ」、それは「おしえ」、それは「さとす」。
それはときに「といかける」。
ひっくるめると、それはすなわち「母」なのでした。
琵琶湖はやっぱり母なんだねとうなずきあって、ふと気づいたことがありました。
マンションのベランダから、小高い丘の上から、電車の窓から、細い路地の隙間から、琵琶湖をまなざし、カメラを構えて、琵琶湖を撮るということは、これはようするに、誰もがみんな、呼んでいるんだ、琵琶湖を、「おかあさーん!」って。
心がそれと意識しているかいないか、そんなことはお構いなしに、僕たちは、というよりも、そう、僕より先に僕のまなこがそれを呼ぶんだ、「おかあさーん!」と、あの水を。
「おかあさーん!」
僕らのまなこがふもとに呼ぶと、霧の晴れ間に「なあに」とばかりに琵琶湖が見えて、そして僕らははにかみながらこう言うのです。
「ううん、ちょっと、呼んでみただけ」。