淡海宇宙誌 XV 水の民の舟行
かつて「舟行(ふねいき)」は、水郷の夏の大きな楽しみでした。
たとえば八月一日、伊崎の岬のお不動様の竿とび見物と、長命寺での千日参り。
その日はまだ明けきらぬ頃から家族親戚七、八人が連れ立って、田舟に乗り込み出かけます。
鍋やかん、コンロを積み込み、食材も積んで行きます。舳先にはニワトリが吊るされている。これももちろん食材として。
一家のなかで腕力のある男二人が交替しての船頭です。
ギィー、ギィーと艪をこぎながら、堀を抜け、大きな内湖にさしかかる頃には鍋に湯が煮える。舟の上ではごちそうの支度にかかります。舳先のニワトリを、そこでつぶしてさばきます。
暑くなれば水に飛び込み、舟の周りを泳ぎながらついていく。家族の歓声をまとって、楽しい舟はのんびりゆっくり進みます。
舟が進めば料理も進む。
肉が鍋に放り込まれ、うまそうな匂いがしだすと、時間はちょうどお昼頃、舟はいつしか琵琶湖上、伊崎の岬に着いた頃。
おいしく煮えた「ジュンジュン」を食べつつ、さあ、竿とびの見物です。
岬に突き出た竿の先から行者さんや度胸試しの褌姿の若者が眼下七メートルの湖面に向って飛び込む様を、ヤアヤア言って眺めます。
お腹いっぱい、見物も済んでしまうと、舟は琵琶湖の岸伝い、長命寺へと向かいます。
お参りをして、帰路はたそがれ。そのまま山を回り込み、堀を通って我が家の先まで帰る頃には、舳先には、カンテラの火がチラチラと揺れて灯っていたのです。
淡海は水の国だから、そこに住むのは水の民。してその水の民とは、舟の民でもあったわけです。