ソラミミ堂

淡海宇宙誌 XIV 子守の舟

このエントリーをはてなブックマークに追加 2011年8月9日更新

 「坊やー」と呼ぶ声がするから、「はーい。おーい」と返事をする。また「坊やー」と呼ぶから「はーい」と応える。決まった間をおき、その繰り返し。
 もしも返事がなかったら、お母さんは顔いろを変えて、駆けつけなければなりません。
 大事なわが子が、水の底に沈んでしまっているかもしれないのだから。事実そうして水に命を取られた子供も、一人や二人ではなかったのです。
 田の端に浮かべた舟に竹の骨組みと藁とで屋根をかけ、それは言ってみれば田舎の屋形舟なのですが、そうした舟のなかで、ちゃぷちゃぷ、ゆらり、ちゃぷちゃぷ、ゆらりと、水の子守歌をきき、波のゆりかごにゆられながらまどろんでいる、というのが、淡海の国の、水辺の村の人の、記憶の底にある体験です。
 田んぼが忙しく、しかも家に人手がなければ、赤ん坊でも、田へ連れて行かねばならない。
 それも昔は道も自動車もなくて、縦横にめぐる水路を行く、という時代だから、田んぼへは舟で行って、子は舟に寝かせておいて、親たちは、それで仕事をしなければならない。
 寝かせて寝ている、または泣いているほどの、ほんの赤ん坊ならいいけれど、遊びたい盛りの頃の子であれば、お母さんは気が気でなくて、しかも田んぼの作業は身をかがめ、ずっとうつむいてすることばかりで、田の端にまで目が届かない。だから、母は子を呼び、子は母を呼びということもあったわけです。
 田の端でひとり待つのが寂しくて、自分からわざと水へ入ったり、弟妹に水をじゃぶじゃぶさわらせて、恋しいお母さんを呼びつける、という切ない知恵を身につける子もありました。
 舟の子も、子守の舟も、昔の話になりました。

 

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