淡海宇宙誌 XI なーんにもなくて500年
「ここにはなーんにもないんです」。
と応じるのが土地の者の作法である、とあらかじめ申しあわせでもしてあるかのようです。
近江の村から村へ、その土地ごとの暮らしや文化のありようをしらべて歩く先々で、その地の古老や顔役から、開口いちばん、僕らに言い渡されるのがこの「なーんにもない」宣言です。
行く先々で、僕らはこの宣言を聞いてきた。もちろん僕らはそれには騙されないしひるまない。むしろ「さーて、それではこの村にはどんな”なーんにもない“があるだろうか」と腕まくりする気持ちになります。
近江の村々の「なーんにもない」宣言は、じつは、ほとんど間違いなく、人々の村への誇りの裏返しだと考えてよい。
例えば村の春祭り。新聞や旅行雑誌で取り上げられるような、盛大な、きらびやかなものではないけれど、伝え聞くところを信じるならば1000年、史書にあたればそれでもざっと500年。そんな祭りがざらにある。
お宮の社殿や神輿や太鼓、お堂におられるお地蔵様や遠目にわかる大イチョウ。そのほかに、広場で踊る身振り手振りや節回し、そしてなにより祭りを囲んで屈託のない笑い声など。それらもともども何百年。
それらを尻目に自身満々「なーんにもない」と言い切ってみせるのは、風来坊のヨソモノ相手のいたずらや挑戦状でないならば、郷土への誇りと愛の宣言だとしか思えない。
新聞雑誌、テレビを飾るのっぽのビルや、人々の耳目をおどかす出来事が、果たしてこれから100年でさえ続くだろうか。
500年間「なーにんもない」を支えてきたもの、その力が、今日も近江を、そこにひしめく村の祭りを動かしています。