ソラミミ堂

淡海宇宙誌 IX 鼻からダイヤ

このエントリーをはてなブックマークに追加 2011年2月28日更新

 漁師の手にも季節がある。かたくなったり、やわらかくなったりする。夏の手と冬の手と、どちらがやわらかいか。
 冬のほうがやわらかい。冬はゴム手袋で網を繰るので。夏には素手だから、かたくなる。
 行って冬の手を確かめようと思っているうちに春間近です。
 冬の琵琶湖の旬は氷魚。「ひうを」とも「ひを」とも呼んで、氷のように透き通った鮎の稚魚です。
 沖合いのエリ、その先端のツボに追い込まれたのを、傷つけぬよう、ザルですくう。釜揚げにして食べるのは、湖辺の贅沢。
 口でほろりと解けるのも、その名に似つかわしいことです。
 冬の漁の昔はゴム手袋も長靴もない。藁草履。舟に火鉢を積み込んで、薬缶をかけて湯を沸かす。その湯をかけて草履を温め、冷めたら上からまたかけて。
 そんなにしてまで漁に出たのは、八百年も昔から、例えばこんな食いしん坊がいたからか。
 「今は昔、ある僧、人のもとへ行きけり。酒など勧めけるに、氷魚はじめて出で来たりければ、あるじ珍しく思ひて、もてなしけり。あるじ、ようの事ありて、内へ入りて、また出でたりけるに、この氷魚の、ことの外に少なくなりたりければ、あるじ、いかにと思へども、いふべきやうもなかりければ、物語しゐたりけるほどに、この僧の鼻より、氷魚の一つ、ふと出でたりければ、あるじあやしう覚えて、「その鼻より氷魚の出でたるは、いかなる事にか」と言ひければ、取りもあへず、「この頃の氷魚は、目鼻より降り候ふなるぞ」と言ひたりければ、人皆、「は」と笑ひけり」。
 「氷」の魚が今は「ダイヤ」と呼ばれ始めて、盗み食いでも鼻から出るほど頬張れたのが、さらに昔となりました。

引用

「宇治拾遺物語」の巻第五ノ一〇
「或僧人の許にて氷魚ぬすみ食いたる事」

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